取材・文=吉田さらさ 写真提供=太郎坊・阿賀神社
修験者は天狗と見なされ、太郎坊と呼ばれた
滋賀県は奈良や京都に近く、琵琶湖が水運の要衝であった。日本海を渡ってやってきた渡来人が多く住んだところでもあるため、由緒の古い寺社仏閣がたいへん多い。私もこれまで何度となく足を運んだが、まだまだ訪ねるべき寺社が残っている。今回は、その中のひとつ、東近江市の太郎坊宮を訪ねた。
電車で行く場合は、近江鉄道の太郎坊宮前駅で降りるとすぐ、最初の鳥居がある。このあたりからすでに、この神社がある岩峰太郎坊山(赤神山)も見えてくる。標高は357.2mとさほど高くはないのだが、おにぎり型の山頂がつんと聳え、岩肌がむき出しになっているところが多く、なかなかの迫力である。その中腹あたりに何やら巨大な建造物も見えるが、それが太郎坊の建物のひとつ、参集殿だ。
二つ目の鳥居の先に石段があり、742段登れば本殿に行けるが、この石段は急こう配でかなりきつい。足腰に自信のない方は車で参集殿の少し下にある駐車場まで行く方法もある。わたしは迷わず後者の道を選択。石段はここからも続いており、本殿まであと260段。表参道と裏参道があり、反時計回りに本殿まで行って戻って来るのが一般的ルートだ。
ここでご由緒の話をしておこう。創祀はたいへん古く、今から1400年前と伝わる。岩肌が露出した神秘的な山容の赤神山は神が宿る場と信じられ、山自体をご神体とする山岳信仰の聖地とされていた。
この山で修行をする修験者は天狗と見なされ、太郎坊と呼ばれた。それがこの神社の呼び名となったのだが、正式名称は阿賀神社である。境内のあちこちには、願掛け天狗など、天狗をキャラクター化した像がある。天狗の姿をした『飛び出し坊や』の標識も見かける。ちなみに、みうらじゅん氏に注目されて全国的に有名になった飛び出し坊やの標識は、滋賀県のこの地域の発祥とされる。
長い歴史の中で、著名な人物の崇敬も受けてきた。聖徳太子はこの神社の霊験あらたかさを知り、国家の安泰と万人の幸福を祈願しにやってきた。実は東近江一帯は聖徳太子がやってきたという伝承が広く伝わる地域なのである。
時は流れて平安時代の初期、天台宗の開祖、伝教大師最澄もこちらに参籠した。その後この神社では山岳信仰、神道、仏教が混然一体となった独特の信仰形態が確立されていった。源義経もこちらに参詣したと伝わっている。義経は源氏興隆を祈念するために訪れ、その折に座した「義経公腰掛岩」と呼ばれる石も石段の脇に現存する。聖徳太子、最澄、義経とは、なかなか凄い顔ぶれである、
祭神は正哉吾勝勝速日天忍穂耳大神(マサカアカツカチハヤヒアメノオシホミミノオオカミ)。一度聞いただけでは覚えられないようなお名前だが、天照大神の第一の御子神で、「まさに勝った、私は勝った。朝日が昇るように鮮やかに、速やかに勝利を得た」という須佐之男命の言葉が元になっているという。このことから、この神社には勝運のご利益があるとされる。そのためビジネスマンやスポーツ選手のお参りも多く、勝守りも授与されている。