鬱蒼とした林に差し込む木洩れ日、岩魚が潜む清流、尾根を吹き抜ける風、時には人を寄せ付けない厳しい自然——。そうした山の持つ「何か」に魅せられ、特に夏から秋にかけては多くの人々が山へと向かう。今回は、非日常と神秘性を秘めた山の魅力が堪能できる2冊をご紹介します。

選・文=温水ゆかり

写真=shutterstock

母の実家の神官屋敷に伝わる、霊山・御嶽山にまつわる物語

                                                                                           ©️浅田次郎/双葉社

『完本 神坐す山の物語』
著者:浅田次郎
出版社:双葉社
発売日:2024年6月19日
価格:2,200円(税込)

【概要】

奥多摩の、太古から神を祀ってきた霊山・御嶽山の上にある村。そこにある神官屋敷は浅田次郎氏の母の実家である。彼が少年だったころ、美しい伯母から聞かされた怪談めいた夜語り。それは怖いけれど、美しくも哀しく、どれも引き込まれるものばかりだった。これら神主の家に伝わる話を元に脚色して書かれた短編を編み直し、単行本未収録作品「神上りましし諸人の話」(あとがきにかえて)と、書き下ろし作品「山揺らぐ」を加え、完本とした永久保存の決定版!

 もう40日以上続く気温35度超えの日々。ああ、高原か山に行きたい。天然の涼風の中で眠りにつきたい。これがこの『完本 神坐(かみいま)す山の物語』を手に取った理由だけれど、理由があまりにみみっちいので、もうちょっとましな理由をひねり出してみる。

 大学生の頃も、社会人になってからも、ずっと中央線沿線に住んでいるというのに、中央線の西にある多摩地方に行ったことがない。山があり渓谷があり滝があるという。東京の山旅に出かけてみようと思う。

 中央線の立川駅で降り、JR青梅線に乗り換え、御嶽山駅で降りてケーブルカーで行く御嶽山は標高900メートル強。浅田氏が古風に約3千尺(1尺は約0.3メートル)と書く山上には、太古からの森に包まれた(浅田氏は「鎧われた」と書く)武蔵御嶽(みたけ)神社がある。

 御嶽神社の歴史は古い。官弊社の中でも最上格の官弊大社。実はこの武蔵御嶽神社は浅田氏のご母堂の里だ。平たく言えば、浅田氏の「女優のように美しく奔放だった」ご母堂は、神主さんの娘だ。

 祖父は子が13人と子沢山だった。そのため、夏休みに集う浅田氏のいとこやはとこは多く、屋敷は林間学校のような様相を呈したという。そんな子供達は広い部屋に蒲団を並べ、婚家に子供を置いて、生家に出戻ってきていた美しいちとせ伯母が、寝しなにオソロシイ話をしてくれるのを楽しみにしていた。

 伯母の話の特徴は、幼かった伯母がこの生家で体験し、見聞きした実話(という設定)であることだった。そこには人の世の不思議や悲しみ、哀切があり、子供心にもそれらがつい昨日のことのように迫ってくるのだった。

 例えば口開けの「赤い絆」は、若い男女の道行=心中譚である。ある冬の夜更けに、女の赤い帯揚げで手首を繋いだ男女が一夜の宿を求めてやってくる。ちとせ(千登勢)があわてて祖父(浅田少年の曾祖父)を呼ぶと、祖父は二人に、夜食と風呂を提供する。

 男は帝国大学の学生、女は吉原の太夫だった。相惚れの仲となったが、学生の身では金が続かない。逃げられるところまで逃げ、金が尽きたら心中しようと決める。まだケーブルカーもない時代、二人は月のない真冬の雪道を登ってここに辿り着いたのだった。

 祖父はさとす。明治の昔ならいざ知らず、それほど想い合っているのなら親御さんも耳を傾けるはず、なんなら自分も口添えすると。祖父が電話すると、名の知られた財界人である男の父親は恐縮し、朝一番に駆けつけると言う。

 しかし、二人は深夜に殺鼠剤を飲む。女中が不審な物音に気づき、2階に上がると男は学生服姿で絶命しており、女は死にきれずもがき苦しんでいた。

 呼ばれた医師が毒薬を薄めるために口移しで水を飲ませようとしても、女は頑として拒み、吐き戻した毒が逆に医師の唇を焼く。医師は匙を投げた。

 女の気持ちにより添って介錯を施そうと言い出した曾祖父は、それは殺人だと医師に強く止められ、神様にお任せするしかないと神主の顔を取り戻す。殺鼠剤の「猫イラズ」は当時、誰でも手に入れられる黄燐系の劇薬だった。

 問題は二人のこの有様を、男の父親にどう見せるかである。一組の蒲団が用意され、糊の利いた敷布をかけ、二人を寝かせて、最初に登場したときのように手首を帯揚げで結んだ。

 この話のどこがホラーかといえば、男の兄と秘書らしき人物を2人従えて登場した、いかにも明治の傑物といった感じの父親の反応だろう。息子の骸を見て「この馬鹿者が。女郎などにまどわされおって」と言い、次に隣に横たわる女の顔をのぞき込み「おまえはなぜ死なぬ。倅(せがれ)が不憫ではないか。はよ死ね」と言い放つ。

 男が戸板に載せられ家族とともに去った後、女は焼けただれた喉で切れ切れに男の名を呼び、3日目の朝にようやく息を止めた。途中で水を欲しがる女にちとせが与えようとすると、もう手出しをしてはいけないと母に止められる。慈悲とは何だろうと考えさせられる。

 伯母がこの心中譚を語り始めたとき、「私」(浅田氏)は伯母が、私ひとりに聞かせようとしていると感じていた。母は駆け落ち同様の結婚をしたものの、離婚して子供達を養い食べていくために夜の女になった。そんな母を持つ自分以外に、男女の業や男女の機微に思いを巡らすような子供はいなかったからだ。

 伯母はもう寝てしまった子供達の顔を確かめて、話の締めくくりに「私」にこう言う。「おまえ、おかあさんのそばにいておやり。はたが何を言ってきても、好きな女の人ができても、おかあさんの手を放すんじゃないよ」「さあ、おやすみ」。