自然の怪異に泣き、人の心の怪異に打ちのめされ、日本近現代史も旅する全11編

 この心中譚を皮切りに、美少女に取り憑いたお狐様と験力を持った曾祖父との攻防、伯父が「見えないものが見える」自分を訪ねてきたことで「私」がいち早く知った伯父の訃報。二百三高地で戦闘中だった少尉が現れる雪の夜や、夏の新月の晩に現れた山伏の「満万行」(まんまんぎょう)までの百日を点描する短篇が並ぶ。

 本書が完本と銘打たれているのは、上梓した2冊の短編集の中から“御嶽山物語”のテーマで再採集し、書き下ろしと、単行本未収録だった1編を「長いあとがき」として最後に加えているからである。

 その書き下ろしである「山揺らぐ」は、夏休みも終わりに近づき、子供達も山を下りなければならない頃合いで、「夜話はこれっきりだよ」と伯母が始めた「震災のはなし」だ。

 大正12(1923)年9月1日、午前11時58分。百畳の大広間に沿った関東平野を見晴るかす裏廊下で、蒲団の襟を夏用から冬用に替えていた伯母は、ゴーッという不穏な音を聴く。

 地鳴りだとは夢にも思わず、熊でも出たのかと裏庭を見回す。すると眼下の山々が揺らいだように見え、伐採を終えたはげ山が崩れ、麓から杉木立を揺らしながら地震が這い上がってきた。

 火を消せ、竈(かまど)に水をかけろ、外に出るな、大黒柱に集まれ、この家はけっして崩れぬ。朗々たる祖父の声が響いた。奥多摩にも及んだ生々しい発災の瞬間である。

 この屋敷の門長屋には、病弱な達(いたる)さんが住んでいた。達さんは本来なら家を継ぐべき人だったが、神主の修行にはとても耐えられそうにないと、東京の大学(早稲田)で哲学を専攻した当時の知識人だった。

 震災の翌日 役場の吏員が東京市と東京府下の5郡に戒厳令が出たことを告げ、明日には御嶽山を含めて、全域が戒厳令下に入ると言う。吏員に付いてきた老巡査が話を継いだ、

 不逞鮮人が地震のどさくさにまぎれて火をつけたり井戸に毒薬をなげこんだりしている。暴動は川崎辺りで始まり、横浜を襲い、不逞鮮人の一部は多摩川の土手沿いに進み、府中の大國魂神社を焼き討ちにした後、この御嶽山を目指している、と。

 そんなことはあり得ない、デマゴーグだと叫んだのは達さんだった。「天災はだれのせいでもない。しかし誰かのせいにしないと気が済まなくて、それを朝鮮人のせいにするというのなら、神様のせいにしたほうがよほどましだ」。

 あろうことか、神主の息子が神様を愚弄するようなことを言ったため、場がいきり立つ。達さんが結核の赤い血を吐かなければ、居合わせた人々に殴られていたはずだ。

 達さんは翌9月3日も屋敷を出て、自警団らしき人々を説得して回る。流言飛語だ、疑うことがいけないんだ、このデマはたちが悪すぎる、暴動は計画しないと起こせない。暴動が起きたというなら、朝鮮人は地震を予知していたことになる。そんなことはあり得ない。しかし達さんの声に耳を傾ける者は皆無。逆に「役立たず」「社会主義者」などと罵られるばかりだった。

 そんな達さんを門前で待っていた(浅田氏の)祖父は、冴えざえとした声で言ったという。「達。気が済んだか」。短くも息子を理解し全肯定する、なんと愛情の籠もった言葉であることか。達さんはその年の12月に病死した。

 達さんには一回り下の弟がいた。畏(かしこ)さんと言う。私の家は神道だから、祝詞の「かしこみかしこみ」のかしこみだなとすぐ分かる。畏さんは仕立屋修業をし、達さん似の見目のよさで横浜山下町のテーラーの人気者だった。

 震災の日、グランドホテルに宿泊していた外国人に背広を届けに出たきり行方しれずになっていた。達さんのお葬式前後に、畏さんの死亡届を出すよう横浜市役所から連絡が入る。父母は一度に二人の息子を亡くしたのだった。

 御嶽山の山上から見た、震災後の東京の描写に息を呑む。いつもなら都会の灯火が細かくさんざめく光景が見えるが、「今日ばかりは一面が漆黒の闇だった。眼下を行き来するのは奥多摩街道を往還する自動車の前灯で、ほかには光という光がなかった」

「そして闇の先に、緋毛氈でも拡げたような、そうと教えられなければわからぬほど厚く大きく、炎が敷きつめられていたのである」「東京があかあかと燃えていた。夜の竈(かまど)の熾火(おきび)のように」

 読後、この「山揺れる」は、田山花袋のルポルタージュ『東京震災記』など、名だたる文学者達が書き遺した震災記録文学の山脈に連なるものだと確信する。世に言う「関東大震災朝鮮人虐殺事件」を引き起こした流言飛語は、この霊山にまで上がってきて、人々を惑わしていたのだ。

 つけ加えれば、達さんは自分の言うことに人々が耳を傾けなくても、それはデマだ、流言飛語だと主張することをやめない。同調圧力が働く場でも、口をぬぐわず言い続ける姿勢に、日本ペンクラブの前会長だった浅田氏の“もの言う矜持”が託されているとも感じる。

 関東大震災、伊勢湾台風など、本書の怪異には自然の怪異も含まれている。自然の怪異に泣き、人の心の怪異に打ちのめされる。

 本書は神官一族のクロニクルであり、浅田次郎という物語作家が誕生することになった水源に遡上するお話の玉手箱であり、一見俗世とはかけ離れた霊地にも押し寄せた戦争や災害の災厄史でもあると思う。

 どれもが充実した全11編、山も旅したが、日本の近現代史も旅したのだった。