大谷 達也:自動車ライター
ランボルギーニを代表する伊達男
私が初めてステファン・ヴィンケルマンの姿を見たのは、おそらく2013年のジュネーブショーだったと思う。
まるでファッションモデルのようにスラリとした容姿で、細身のネクタイの結び目を真白なシャツから高く浮き上がらせたそのスタイルは、とても自動車メーカーのCEOとは思えないほどファッショナブルだったが、そのいっぽうで「こんなにオシャレな人に会社のかじ取りができるのだろうか?」とちょっと心配に思ったことも事実である。
そんな疑念は、しかしすぐに晴れることになる。
2014年にランボルギーニの本拠地があるサンタガータ・ボロネーゼで行われたウラカンの国際試乗会に参加した際のこと。そこで彼のプレゼンテーションを間近で聞き、ヴィンケルマンがただスタイリッシュなだけでなく、温かみと情熱を持った人であることを知ったのである。
2度、ランボルギーニCEOに就任
ステファン・ヴィンケルマンは1964年、ドイツのベルリンに生まれ。幼少期は主にイタリアで過ごし、ローマで政治科学を学んだ後、ミュンヘンのルートヴィヒ・マクシミリアン大学を卒業。当初はドイツの金融機関に勤務していたが、やがてメルセデスベンツに転職。さらにフィアットのオーストリア、スイス、ドイツの現地法人代表を務めたのち、2005年にランボルギーニのCEOに就任した。
以来、今日までずっと同社のCEOを務めてきたというのであれば話は簡単だが、2016年には同じフォルクスワーゲン・グループ内のクワトロGmbH(現在のアウディ・スポーツGmbH)でCEOに任命された後、2018年にはやはりフォルクスワーゲン・グループに属するブガッティの会長に就任。2020年にはCEO兼会長としてランボルギーニに復帰するという、数奇な運命をたどっている。
クワトロGmbHやブガッティに異動したのは、グループ内の都合によるものだが、それをこと細かに言及することが本稿の目的ではない。ただし、2020年にランボルギーニに復帰したときのエピソードだけは、是非ここでご披露したい。これは、私が2021年3月にリモート・インタビューした際、ヴィンケルマンから直接聞いた言葉である。
「いまはまだ新型コロナ・ウィルス感染症の影響があるので、大規模な歓迎会のようなものは開いてもらっていません。ただし、私が復帰後、初めてランボルギーニの社員食堂に入っていったときのことは、生涯忘れることができないでしょう。なにしろ、そこに居合わせたスタッフが、全員、スタンディングオベーションで私のことを迎えてくれたのです。これには感動しました。さらに大切なことは、ランボルギーニのメンバーと一緒に仕事をしているとき、彼らから信頼してもらっていると感じられることにあります。そんなとき、私は自分の仲間をとても誇らしく思います」
もうひとつだけ、彼のスタイルを象徴するエピソードをご紹介しよう。
ランボルギーニは、おおよそ年に1度のペースで大規模な国際試乗会を開催しているが、よほどのことがない限り、ヴィンケルマンは必ず参加して私たちのひとりひとりと言葉を交わす。たとえそれが、サンタガータ・ボロネーゼから遠く離れたバルセロナやヴァレンシアといった場所であっても、彼は姿を見せてくれるのだ。
その理由をヴィンケルマン自身に訊ねたとき、彼はこんな風に答えてくれた。
「皆さんと直接会ってお話しすることは、とても大切です。それはメディアの皆さんに限らず、各国のディーラーの方々も同じことで、なにか問題が起きれば、私からディーラーの代表に電話して、ダイレクトに話を聞くようにしています」
こういうきめ細やかなコミュニケーションによって従業員や関係者のモチベーションを高めるとともに、彼らの本音を引き出してそれを経営判断に生かしているのだろう。途中4年間の空白があったにせよ、通算10年以上にわたってランボルギーニを切り盛りできたのも、彼が日々努力を怠らなかったからだといえる。
史上最好調のランボルギーニと電動化
2023年、そんなヴィンケルマンに率いられたランボルギーニが歴史的偉業を達成した。なんと、1963年の創業以来、初めて年間販売台数が1万台を突破したのだ。2014年の販売台数は2530台だったので、そこからたった10年でビジネスの規模を4倍に拡大したことになる。しかも、ヴィンケルマンはその10年間の大半を同社CEOとして過ごしたのである。
「昨年、1万112台のランボルギーニをお客さまにお届けしました。このことについては、本当に誇りに思っています」
3月11日にイタリアと日本を結んで行われたリモート・インタビューで、ヴィンケルマンはそう語り始めた。
「しかも、売上高は26.6億ユーロ(約4360億円)、営業利益は7億2300万ユーロ(約118億円)で、いずれも史上最高額です。さらに強調したいのは、利益率が27.2%を記録したことにあります。それでも、私たちの経営アプローチは実にコンサバティブなもので、売り上げや販売を増やすように無理強いをしたことは一度もありません。それなのに、すでに2024年分の生産枠は受注で埋まっていて、ウェイティングリストは2025年分まで伸びているのです」
そんな彼らは今年、ウルスとウラカン(の後継モデル)をプラグイン・ハイブリッド化し、昨年発表したレヴエルトを含め、全3モデルの電動化を完了することになる。
ランボルギーニ レヴエルトについては、発表会場からの速報、試乗記のほか、大谷 達也氏のYouTubeチャンネル「The Luxe Car TV」での動画もある
これは彼らが掲げる中期戦略“ディレッツィオーネ・コル・タウリ”に基づくもの。ただし、クルマを電動化すればコストが高騰し、利益を圧縮することになりかねない。この点についてどう考えているのか、私は訊ねた。
「電動モデルに用いられる材料費はエンジン車よりも格段に高いので、その点が問題になるのは間違いありません」とヴィンケルマン。「ただし、私たちにとっては深刻な問題ではありません。私たちのニューモデル(同社初のPHEVであるレヴエルトのこと)は、ハイブリッド化されるとともに新たなテクノロジーを採用した結果、価格は上昇しましたが、それでもお客さまからは非常にポジティブなフィードバックをいただいています。これはとても重要なことで、今後登場するPHEVについても、十分なマージンを確保できると考えています」
ハイブリッド化されたランボルギーニの価格を顧客が“正当”と捉えているのは、なによりも、顧客がランボルギーニというブランドにそれだけの価値を認めているから。そして、ブランドの価値向上という面でヴィンケルマンが果たした貢献は極めて大きいと言わざるを得ない。
電動化に先立つ10数年間、ランボルギーニは正しいリーダーに率いられてきたといって間違いなさそうだ。