猫のモデルは牡猫、蚤、詐欺師・・・

『吾輩は猫である』原稿の一部

『吾輩は猫である』は、ドイツの作家ホフマンの『牡猫ムルの人生観』の剽窃です。ほかにも19世紀後半に書かれた作者不詳の官能小説『蚤の自叙伝』、イギリスの作家ロバート・バーが詐欺師を題材に書いた『放心家組合』、そして内田盧庵の『犬物語』を種本としているのです。まだあるかもしれません。

 漱石はホフマンの作品を下敷きにして、ときどき西洋の文学作品のなかから面白い部分を使って書きました。

 さらに西洋文学に詳しかった内田露庵が、その知識を見込まれ、日本で洋書を扱っていた「丸善」に入社した際、トルストイの『イワンの馬鹿』を漱石に贈りました。これに対する漱石からの礼状ももらっています。その3か月後、『ホトトギス』に掲載された『吾輩は猫である』の第10回、「馬鹿竹の話」は、明らかに『イワンの馬鹿』から盗っています。また、猫の風刺の精神は、スウィフトの『ガリバー旅行記』から学んだと思われます。

 内田露庵の『犬物語』の冒頭を紹介しましょう。『吾輩は猫である』の3年前に書かれたものです。

 俺かい。俺は昔(むか)しお万の覆(こぼ)した油を甞(な)アめて了つた太郎どんの犬さ。其俺の身の上咄(ばな)しが聞きたいと。四つ足の俺に咄して聞かせるやうな履歴があるもんか。だが、人間の小説家さまが俺の来歴を聞くやうでは先生余程窮したと見えるね。よし/\一番大気焰を吐かうかな。

 俺は爰(こゝ)から十町離れた乞丐(こじき)横町の裏屋の路次の奥の塵溜(ごみため)の傍(わき)で生れたのだ。俺の母犬(おふくろ)は俺を生むと間もなく暗黒(やみ)の晩に道路(わうらい)で寝惚けた巡行巡査に足を踏まれたので、喫驚(びつくり)してワン(原文はワンに傍点)と吠えたら狂犬だと云つて殺されて了つたさうだ。自分の過失(そさう)を棚へ上げて狂犬呼ばゝりは怪しからぬ咄(はなし)だ。(中略)

 生れて二タ月目位だな。悪戯な頑童(わんぱく)どのに頸へ縄をくゝし附けられて病院の原に引摺られ、散三(さんざ)責(いぢ)められた上に古井戸の中へ投込まれやうとした処を今の旦那に救けられたのだ。

    『日本の名随筆76』より内田露庵『犬』(作品社)