大谷 達也:自動車ライター
ただの雪上試乗会ではなかった!
マセラティでスノードライビングを楽しんだ経験のある方は、決して多くないだろう。だから、「イタリアで開催されるマセラティの雪上試乗会に参加しませんか?」と誘われたときには即座に「行きます!」と答えたのだけれど、イタリア北部の街“ボルミオ”でマセラティの広報担当から伝えられた話題は、想像していたよりもずっとシリアスで歴史の重みを感じさせるものだった。
「私たちは、マセラティの特別なヒストリーを祝福するために、ここに集まりました」 名物広報マンのダヴィデ・クルーザー氏が語り始めた。
「特別なヒストリーとは、マセラティV8エンジンのことで、これを祝福するため、ふたつの限定モデルを用意しました。1台はギブリ334ウルティマ、もう1台はレヴァンテV8ウルティマです。なお、ウルティマはイタリア語で“最後”を意味します」
ここまで聞いたところで、ようやく私は彼らの真意を理解した。
2023年5月、マセラティは2023年限りでV8モデルの生産を終了すると発表した。そして今後マセラティは電動化を推し進めると同時に、エンジン・モデルに関してはMC20とともにデビューしたV6ネットゥーノ・エンジンがフラッグシップの座を受け継ぐと明かしたのである。
しかも、イベントの招待状をよくよく見てみれば、「マセラティV8レンジ・ドライビング・エクスペリエンス」とそのタイトルが記されている。本来であれば、この時点でピンとくるべきだったのだ。
マセラティとV8の歴史
V8エンジンを搭載したマセラティ・ロードカーの歴史は、1959年にデビューした5000GTまでさかのぼる。当時のペルシャ国王(ペルシャは現在のイランに相当)のリクエストにより開発されたこのモデルは、大好評を博した3500GTのボディに、V8 5.0リッター・エンジンに搭載をした特別なモデル(オリジナルのエンジンは直6 3.5リッター)。しかも、このV8エンジン、もとはといえば450Sというレーシングカー用に作られたものの流用で、最高出力は325ps(インジェクション仕様は340ps)を誇り、1652kgのボディを260km/h以上まで到達させるウルトラハイパフォーマンスカーだった。生産台数がわずか34台に留まったのも、それゆえのことだったといえる。
このエンジンは改良されながら初代クワトロポルテ、初代ギブリ、メキシコ、インディ、ボーラ、カムシン、クワトロポルテⅢ(後のロイヤル)などに搭載されて1990年まで生産は続いた。つまり、5000GTのデビューから数えて30年以上にもなる、なかなか長寿なエンジンだったのだ。
これに続くV8エンジンは1989年発表のシャマルに搭載されてデビューしたもので、一説には、当時の人気モデルだったヴィトルボ用V6に2気筒を追加して開発されたとされる。同型式のエンジンはクワトロポルテⅣにも積まれたが、1990年代に入るとマセラティを取り囲む環境が激変。1993年、それまでのオーナーだったアレハンドロ・デ・トマソが株式の51%をフィアットに売却したのに続き、1997年にはそのフィアットが株式の50%をフェラーリに売却したことから、マセラティはフェラーリ傘下に組み込まれたのだ。これに伴ってマセラティに積まれるV8エンジンもフェラーリ製となるのだが、フェラーリ用とマセラティ用とでは、微妙にスペックが異なっていたことをご存知だろうか?
フェラーリ製でもフェラーリとは違っていた
Vバンク角90度のV8エンジンの場合、クランクピンは2気筒分をひとまとめにするので、1本のクランクシャフトには4つのクランクピンが設けられる。このクランクシャフトを軸方向から眺めたとき、4本のクランクピンがひとつの平面上に並んでいるものをフラットプレーン、直角に折れ曲がったものをクロスプレーンと呼ぶ。
実は、フラットプレーンとクロスプレーンとでは特性が大きく異なり、フラットプレーンは振動が大きめだが高回転型でハイパフォーマンス、クロスプレーンは振動が小さいもののパフォーマンスではフラットプレーンに一歩及ばない、となる。そしてフェラーリは、自社製品にはフラットプレーンを用いるいっぽう、マセラティ向けにはクロスプレーンを供給したのである。
私がオートグラフに寄稿したマセラティに関する過去の記事をお読みになった方であればご理解いただけるとおり、これは実に理にかなった方策だった。なにしろ、マセラティはフェラーリのようなピュアスポーツではなく、パフォーマンスと快適性を高い次元で両立させたグランツーリズモをそもそものコンセプトとしているのだ。したがって、最高出力のわずかな差よりも静粛性や滑らかさを優先したエンジンのほうが、マセラティには相応しいといえるだろう。
とはいえギブリは4ドア最速の乗用車だった
話を雪上試乗会の話に戻せば、ギブリ334ウルティマは、V8エンジン搭載のギブリ・トロフェオをベースにしながら、4ドア・モデルとして史上最速の最高速度:334km/hを達成した限定車。そう聞くと、「きっとものすごい改造を施したに違いない」と思われるかもしれないが、実はトランクリッドに小さなリップ(スポイラー)を設けたのが実質的な差で、性能向上に結びつくようなモディファイはほとんど行われていない。ちなみに、スタンダードなギブリ・トロフェオの最高速度は326km/h。つまり、ベースモデルからして極めて高いパフォーマンスを備えていたことになる。なお、ボディは光の加減によって青にも緑にも見える専用のシャー・ディ・ペルシア(ペルシャ王の意味)にペイントされ、世界で103台が限定販売される。
レヴァンテV8ウルティマもメカニズム部分に大きな変更はなく、カーボン・エクステリア・キットを標準装備したほか、インテリアにスタイリッシュなペイル・テラコッタ・レザーを用いたり、22インチ・ホイールを装着したりと、お化粧直しが中心。ボディカラーはブラック系のネロ・アソリュートとブルー系のブル・ロイヤルの2種類で、それぞれ103台が限定販売される。
クアトロポルテ トロフェオに感激
今回は残念ながら上記2台の限定モデルには試乗できなかったものの、予想もしなかった発見があった。同じV8エンジンを搭載するクアトロポルテ・トロフェオのできが、とてつもなくよかったのだ。
6代目となる現行型クアトロポルテのデビューは2013年。つまり、もう10年選手なのだが、デビュー当時に感じられたボディのゆるさは一切なく、剛性感は恐ろしく高い。しかも、サスペンションのセッティングはラグジュアリーサルーンらしくしなやかで快適なのに、マセラティの本分ともいえるハンドリングの正確さもしっかりと実現されていたのだ。全長5.2mといえばメルセデスSクラスやBMW 7シリーズに匹敵するサイズだが、それよりもはるかにコンパクトに感じられる機敏さを備えながら、これだけの快適性を実現していることには驚きしかない。
このクアトロポルテの弟分にあたるのがギブリ・トロフェオ。つまりギブリ334ウルティマのベースモデルだ。クアトロポルテよりもひと回りコンパクトなだけに足回りの設定はスポーティ傾向で、その分、軽快な走りも楽しめるが、さすがにクアトロポルテほどの「しっとり感」までは感じられなかった。それでも、ボディのしっかりさを含め、走りの面では最新のドイツ製プレミアムモデルと互角に戦えるだけの完成度に仕上がっていたことは、率直にいって予想外だった。
ちなみに雪道での印象は、トラクションコントロールやスタビリティコントロールの制御が的確だったので立ち往生することはなかったものの、当日は気温が0℃前後ともっとも滑りやすいコンディションで、それゆえ、後輪駆動のクアトロポルテやギブリでは何度かスタックしかけたのは事実。したがって「マセラティなら後輪駆動でも安心してスキーにいけます!」とまでいうつもりはないけれど、専用の雪上コースでは存分に振り回す楽しさを味わえたことをご報告しておきたい。
個人的には、マセラティはMC20を境にクォリティやパフォーマンスが大きく改善されたと捉えていたが、今回試乗したクアトロポルテやギブリは質感も高く、走りの性能は文句なしに優れていた。とりわけクアトロポルテ・トロフェオの完成度は圧巻で、ドイツ製モデルに比べればADASやインフォテイメントなどに物足りさもあるけれど、クルマの本質である走りのパフォーマンス、そして内外装の作り込みなどの点ではドイツのライバルを大きく凌いでいた。
マセラティのV8モデルはすでに生産が終了しているので、新車は流通過程にあるものしか手に入らないだろうが、それでもイタリアン・ラグジュアリーサルーンの華麗な世界を味わいたい方には、クアトロポルテ・トロフェオを強力にお勧めしておきたい。
全長×全幅×全高:5,262×1,948×1,481mm
ホイールベース:3,171mm
重量:2,130kg
エンジン:3,799cc V8 ツインターボ(ボア86.5mm/ストローク80.8mm)
最高出力:580PS / 6,750rpm
最大トルク:730Nm / 2,250-5,250rpm
トランスミッション:8段AT
タイヤサイズ(前 / 後):245/40R20 / 285/35R20
最高速度:326km/h
0-100km/h加速:4.5秒