岩倉使節団のローマ訪問から150年。ローマの姉妹都市である東京を舞台に「永遠の都ローマ展」が始まった。《カピトリーノのヴィーナス》を筆頭に、約70点の名品が紹介されている。

文=川岸 徹 撮影=JBpress autograph編集部

展示風景より、《カピトリーノのヴィーナス》 (部分)2世紀 大理石 カピトリーノ美術館蔵 

日本と縁が深いカピトリーノ美術館

 日本とイタリアの交流の歴史は古く、イタリア人が日本について最初に言及したのは『東方見聞録』だといわれている。イタリア北部ヴェネツィア共和国のマルコ・ポーロの冒険談を書物としたもので、日本は黄金の国“ジパング”と紹介されている。「莫大な金を産出し、宮殿や民家は黄金で作られている。財宝にあふれた国だ」。ただし、これはマルコ・ポーロが中国について語ったものだとする説もある。

 1585年には九州の大名が少年4人を中心にした使節団をローマに派遣。彼らは天正遣欧少年使節と呼ばれ、ローマ教皇グレゴリウス13世に謁見。グーテンベルク印刷機を日本に持ち帰るなど、ヨーロッパの技術を日本に伝えた。

 その後、日本は鎖国の時代に入るが、徳川幕府が終焉を迎え明治政府が誕生。1872年には、政府が岩倉使節団をローマに派遣した。米欧12か国を巡った使節団は1873年にローマ「カピトリーノ美術館」を訪問。その後の日本の博物館事業の施策に大きな影響を与えたという。

 カピトリーノ美術館への使節団訪問から今年で150年という節目の年に行われる「永遠の都ローマ展」。カピトリーノ美術館の所蔵品を中心に、古代ローマの時代から近代の名品まで、彫刻、絵画、版画など約70点の作品が公開されている。

 このカピトリーノ美術館、世界で最も歴史の古い美術館の一つとして知られている。始まりはルネサンスの時代。教皇シクストゥス4世がローマ市民に4点の古代彫刻を寄贈したことが発祥といわれ、その後、古代遺物や彫刻、ローマの名家に由来する絵画など、質量充実のコレクションが築かれていった。1734年には一般公開を開始。今もローマを代表する観光名所として知られ、世界の人々が訪れている。