私たちの心の底にある懐かしい感覚や感情、記憶を揺さぶりながら、非日常の世界へと誘う表現を続けるアーティスト、荒木珠奈。初期から最新作まで90点以上を紹介する回顧展「うえののそこから『はじまり、はじまり』荒木珠奈 展」が東京都美術館で始まった。
文=川岸 徹 撮影=JBpress autograph編集部
荒木珠奈ってどんなアーティスト?
海外の名門美術館から世界的名画がやって来る大型企画展に心が躍る。だが、知名度はそんなに高くなくても、アーティストの情熱や愛がひしひしと伝わってくる展覧会に出合えた時の喜びは格別だ。7月22日に東京都美術館で開幕した「うえののそこから『はじまり、はじまり』 荒木珠奈 展」。これが、期待をはるか上に超えていく素敵な展覧会だった。
荒木珠奈は1970年、東京生まれのアーティスト。最初にその経歴を簡単に紹介したい。小さな頃から絵を描くのが好きだったという荒木の保育園時の夢は「おうちにいるお母さん」。小学校に入ると「将来は黒人のおばさんになりたい」と思ったそうで、高校生の時には「パリに住んでパリジェンヌになる」と決意した。武蔵野美術大学短期大学部に進学し、20歳の時にフランス政府の国費留学生の試験を受けたが落選。フランスへの思いが冷め、その後、様々な国を旅したという。
そんな中、岡本太郎『美の世界旅行』(新潮社)にめぐり合い、メキシコへと渡った。1993~95年の最初のメキシコ滞在では、現地の美大にもぐり込んだ。荒木はメキシコに惹かれた理由を、「皆好き勝手に生きていて、無言のプレッシャーがない。毎日のようにわけの分からないことが起きて、不便だけれど飽きない。なんでも思うようにはことが進まないけれど、最後にはだいたいうまくいって笑えるところがとてもいい」と話している。
ガイコツをモチーフにした作品が楽しい
展覧会の冒頭を飾る初期の版画作品。メキシコの死生観を象徴する「ガイコツ」をモチーフにした作品が目に留まる。黄、緑、ピンク、紫のガイコツが列を成して歩く 《Una marcha de los esqueletos(ガイコツの行進)》 、男女のガイコツがダンスに興じる《¿Bairamos?(踊りませんか?)》 。ガイコツが描かれた作品だが、そこにおどろおどろしさは微塵もない。あくまで陽気で、ハッピーで、かわいらしい。死者への弔いは、楽しく明るく祝祭的に行う。そんなメキシコの風習「死者の日」の考え方がよく表れている。
インスタレーション《Caos poetico(詩的な混沌)》もメキシコを題材にした作品。天井からたくさんのコンセントが吊り下がり、その先には家に見立てた小さな箱がぶら下がっている。「メキシコの貧困層が暮らす地域では、よその電線から線を引っ張って電気を盗んで暮らしている人たちが多いんです。そうした家々に灯る光は、夜になると星空のよう。そんな光景に着想を得ました」と荒木は話す。
この《Caos poetico(詩的な混沌)》は参加型の作品になっており、来場者は自分の手で小箱をコンセントに取り付けることができる。電気がパッと灯り、光のありがたさを感じる瞬間。電気を盗む行為は褒められたものではないが、貧困に負けないでたくましく生きる人々に頼もしさも感じた。
《うち》という作品も参加型のインスタレーション。この作品はメキシコではなく、荒木が幼い頃に住んでいた団地がモチーフだ。展示室の壁一面にカギがかかった小さな箱が取り付けられており、来場者はカギを受け取って箱を開ける体験が可能。箱の中には、団地で暮らす人々の生活の一コマが描かれている。
試しに一つ開けてみると、女の子が2人、あやとりをしている情景。2人は姉妹だろうか、それとも友達だろうか。空想が広がっていく時間がまた楽しい。