ヨーロッパの人たちにとってのカフェは、文化や歴史に根付きくらしの一部。人生を豊かにしてくれるカフェ文化をこよなく愛し、カフェ巡りをライフワークとしているエッセイストの柏原 文さんが、一度は行きたいヨーロッパのカフェを、珈琲と人生にまつわる物語と美しい写真ともにご紹介。ぜひ珈琲のお供にぜひお楽しみください(全5回)。

取材・文=Aya kashiwabara 写真協力=飯貝拓海 編集協力=春燈社

*本稿は『ヨーロッパのカフェがある暮らしと小さな幸せ』(リベラル社)の一部を抜粋・再編集したものです。

王宮を設計した建築家が手がけた「カフェのための宮殿」は今も賑わう

ブダペストと珈琲の出逢い

 世界一美しいといわれるカフェは世界にたくさんあるだろうが、世界一豪華なカフェといえば、この「ニューヨーク」ではないだろうか。しかし、この豪華な外見に惑わされてはいけない。その美しさに目をくらませて、内に秘めたる数々のユニークな物語を見逃してはもったいない。さて、それを語る前に、まずはブダペストと珈琲の歴史をのぞいてみよう。

 この街に珈琲が入ってきたのは16世紀。珈琲はまだ敵国イスラム文化の飲料だったからウィーン同様、珈琲は戦いがらみでもたらされる。事情が違ったのは、トルコ軍はウィーンを包囲して一触即発だったのに対し、ブダペストでは平和的解決を装った作戦に出たこと。つまり、ハンガリーの要人らを「お食事会」に招待したのである。善良なハンガリー人は、まんまと会食へ……。

 しかし、長い晩餐でそろそろお暇をと申し出ると「もうすぐ《黒いスープ》をお出ししますから」と引き止められる。それを合言葉に、配膳をしていた家来たちが兵士に変身……その後の顛末はご想像の通り。この「黒いスープ」が実は珈琲で、このことから「黒いスープはまだきていない」というと「まだコトは起こってないがこれからくるぞ」という比喩として、500年経った今日でも使われているという。

 

全ての市民を受け入れた様々な形のカフェ

 トルコ軍が撤退した17世紀になっても、珈琲文化は撤退することなく、この黒いスープはハンガリー独自の美しい文化を創り上げていき、19世紀にはカフェの数が増えていった。

 他都市と違いこの街の人々が幸運だったのは、人件費が安いため、夕食も安く済ませることができ、24時間営業が多かったこと。そのため貧しい人も、暮らしに適したアパートに住めない人もカフェには入り浸ることができた。そこは憩いの場であるとともに、公民館のような役割を兼ねていた。一方で高級な内装のカフェも連立しはじめ、知的活動の中心地となった。その代表が「ニューヨーク」である。

ブダペストを代表する堂々たる外観とカフェに並ぶ大勢の人

 このカフェはニューヨークの保険会社の支店として建てられ、一階部分のカフェはそのままに、上階はホテルになっている。そもそもの始まりはハンガリーの一教師だったマックスが法律家として成功しニューヨークに渡り、縁あって仲介役としてこの地に舞い戻ってきたことによる。

保険会社の支店だったがカフェ部分を残し今はホテルに

 1894年に完成したカフェは、数々の大理石の柱に豪華な金色の装飾、それを映し出す鏡が織りなす重厚かつ華やかな内装で、宮殿のよう——それもそのはず、設計したのは王宮を手がけた著名建築家ハウスマン。カフェに対する強い思い入れがうかがい知れる。

人だかりの小さなカフェの入り口と違い静かな時が流れる横顔