文=細谷美香
登場人物それぞれの視点から同じ出来事を描く
是枝裕和監督が自身の脚本以外で映画を撮るのは、デビュー作『幻の光』以来となる。その相手として、これ以上ふさわしい脚本家はいないかもしれない。長らく日本のテレビドラマ界で時代を映し出す脚本を執筆してきた坂元裕二と是枝監督には、シングルマザー、捨てられてしまった子供、疑似家族といった世界の片隅にいる人たちを題材にしてきたという共通点があるからだ。
舞台は、大きな湖がある郊外の町。夫に先立たれ、クリーニング店で働いているシングルマザーは、ひとり息子の湊の様子がどこかおかしいことに気付く。担任に暴言を吐かれたという息子の話を聞いて学校に乗り込むが、校長をはじめとする教師たちはマニュアル通りの対応に終始するばかり。そればかりか担任は湊が同級生の依里をいじめていると言い出す。母は学校側に詰め寄り続け、担任が謝罪をしたことが新聞に取り上げられて、事態は収束に向かうはずだった。しかし台風の夜、湊が姿を消してしまう。
この映画は登場人物それぞれの視点から同じ出来事を描くいわゆる『羅生門』スタイルが採られており、坂元裕二はこの物語を3つの章で編んだ。章が進むにつれて、あらゆる物事には様々な側面から見たいくつかの“真実”があることがわかってくる。
このシングルマザーはモンスターペアレントなのか、学校側の形式的な謝罪が間違っているのか。怪物とは誰のことを指すのか、もしくは自分は怪物かもしれないと思わせてしまうものとは何なのか——。坂本龍一の音楽がサスペンスフルで不穏な空気をさらに震わせる。
キャストは『万引き家族』に続いて是枝作品に出演した、シングルマザー役の安藤サクラ。これまでも坂元裕二が脚本を手がけたドラマに出演し、今回は当て書きだったという教師役の瑛太。どこか捉えどころのない校長を演じた田中裕子。そしてオーディションで選ばれたという子役の黒川想矢、柊木陽太が、まさにそこに生きているとしか言いようのない名演を見せている。
いつもは子供たちに現場でセリフを伝えてきたという是枝監督だが、今回はあらかじめ台本を読んでもらったのだという。演出の違いはあっても、子供たちのみずみずしい表情を引き出す手腕には変わりはなかったようだ。
『怪物』では伏線と思われることのほとんどが、嵐の夜に向かって回収される。そしてそれが鮮やかであればあるほど、悲しくやるせない想いが胸に広がっていく。その理由がわからないまま鑑賞した方が感動や衝撃が大きく、語りづらい映画であることは間違いない。
しかし今年のカンヌ国際映画祭で脚本賞のみならず、クィア・パルム賞を受賞していることからもわかるように、生きづらさを抱えている子供たちの現実が描かれていることは確かだ。
生きづらさを抱えている……というよりも、そのことに対してまだ自覚的ではないかもしれない子供たちの目に、世界はどう映っていて、大人たちの言葉はどんな重さを持っているのか。母親が“普通”のありふれた幸せを願って息子に伝えた言葉。お茶の間に笑いを生むバラエティ番組のワンシーン。視点を変えるとすべてが残酷なものになり得るのだ。
この映画は、偏見や常識から解き放たれて、知ること、想像することから始めてみようという是枝監督と坂元裕二からのメッセージなのではないだろうか。まるでふたりだけの聖域のような廃電車で過ごすシーンがあまりにも美しく、胸が締め付けられる。嵐が過ぎ去って世界へと飛び出して行く子供たちの未来に、幸せが待っていることを信じたい。