世界最大(?)の屋根のオブジェ
銀座の数寄屋橋交差点にあるこの交番は、1982年(昭和57)に、山下和正の設計により竣工する。
そもそも数寄屋橋交番は、警視庁創設である1874年(明治7)よりも2年も古い、1872年(明治5)に設置された歴史のある交番なのだが、1981年(昭和56)、東京都の文化デザイン事業の一環として、「日本の交番のシンボルとなるべくオシャレ交番を作る!」という掛け声の中、一番最初に抜擢されたのがここ、数寄屋橋交番であった。今でこそ建築家の手による、いわゆる「デザイン交番」は至る所で見ることができるが、いわば山下和正による《数寄屋橋交番》はその先駆けということである。
鉄骨造3階建て、延べ面積約77平方メートルの《数寄屋橋交番》、外壁にはレンガ(当時先進的な技術であったレンガタイルのカーテンウォール)、屋根には銅板が使用され、かつての銀座の煉瓦街をイメージさせるような外装となっているが、なんといってもそのフォルム。積み木を積み上げたような外観はなんとも愛らしくチャーミングだ。とても強面な警察官が勤務する場所とは思えぬ、親しみやすさにあふれた、街のランドマークになっている。
さすが《顔の家》(1974年[昭和49])というインパクト抜群、一度見たら忘れられないユニーク過ぎる建築の設計者だけある。ちなみにこの《顔の家》、現在もなお、雑貨のセレクトショップ&スタジオとして京都の街並みにおいて異彩を放っている。
こんなキャッチーな《数寄屋橋交番》において、そのカワイイ度をさらにアップさせているのが、屋根の先端に付けられたシルバーのまん丸オブジェだ。とんがり帽子の先っぽに取り付けられた、天使が持つ魔法の杖のような、はたまた気象予報士が持つ指し棒のような、なんともキュートな造形物。これこそが、今回の話の主役である。
山下和正は設計当初から、この《数寄屋橋交番》の屋根の先端に何かのオブジェを付けようと思っていたそうだ。しかし、警視庁で実施される大事な説明会が迫っているにも関わらず、なかなかいいアイディアが思い浮かばず、結局、最終的なデザインを決定できないままタイムオーバー、その日を迎えることになってしまう。
困った彼は、製作した模型の屋根の先端に、とりあえず、事務所にあった待ち針を突き刺してプレゼンテーションに挑み、「この部分に後から飾りが付きます!」と説明し、提出したのであった。
ところがである。どうやら「この部分に後から飾りが付きます」という話が警視総監に全く伝わらなかったようで、「仮」で出された状態、すなわち待ち針が刺さった屋根が、そのままの形で許可されてしまう事態になってしまったのだ。当然、山下和正は大慌て。
今度はちゃんと完成したデザイン(今で言うならGPS衛星の軌道、もしくは分子の電子軌道のような未来的デザイン)を持って修正を求めたのだが、「あの模型で警視総監の承認が降り、それで予算が執行されてしまっているので、変更の予算は下りない」と警視庁は断固として受け入れてくれなかったのだ。
彼は警視庁に抗議しようかとも思ったようだが、結局は「シンプルだし、建築デザインとしてこれも良し」と自身を無理に納得させて諦めたそうである。こうして、日本最大もしくは世界最大かもしれない待ち針が銀座の街中に完成することになってしまったわけだが、山下和正は後に、この交番の出来に満足しているかと問われた際に、「分かりませんね」と答えている。
なるほど、この待ち針の球体の部分をよく見ると線が複数入っているのだが、「これはデザインしたものである」と分かるようにした、彼の細やかな抵抗、建築家の意地の表れということであろうか?
山下和正はこの《数寄屋橋交番》の設計にあたり、「都市のシンボルとして分かりやすく、定着するものを考えた」と述べているのだが、現在、この交番は銀座のアイコンとしてだけでなく、世界中に「KOBAN」という言葉を知らしめした存在として、そのコンセプトは十分過ぎるほど実現化しているのではないかと思う。山下先生には大変申し訳ないが、現在の「仮」のデザインの方が、結果、建築全体として親近感のわく、誰からも愛されるデザインとなってむしろ良かったのではないかなぁ、と思うのは私だけであろうか・・・。
年末になると、必ずと言っていいほど、近くにある宝くじ売り場の大行列と一緒にニュースに登場する《数寄屋橋交番》。しかし、残念ながら、建物の老朽化や構造的な耐震性の問題、また女性警察官用の洗面所がないなどの理由から、建て替えられることが決まっている。
実は何年も前から無くなる無くなると言われ続けてきたのだが、どうやら本年、令和5年度中には本格的に建て替えられることがようやく決定したようだ。こちらは懐かしCMとは違い、リバイバルは決して無いので、世界一大きな待ち針を生で観たい方はなるべく早めに訪れて欲しい。そして屋根の上を見上げて、あの懐かしTV番組のように、「へぇ〜!」と何度もつぶやいてもらえるととてもうれしい。