映画館で見たい一押し映画を紹介する新連載。映画ライターの細谷美香さんが、監督や出演者、作品のみどころはもちろん、注目のファッションなど当サイトならではのポイントも伝授します。ご期待ください!
文=細谷美香
ポール・トーマス・アンダーソン監督の新作
もしもこの関係が永遠に続くものではないとしても、こんなふうに誰かと風を切って闇雲に走り出した思い出は、人生のふとした瞬間に胸のなかでいつまでも変わらぬきらめきを放つだろうなと、『リコリス・ピザ』のゲイリーとアラナの姿を観てうらやましく思った。
ポルノ業界を舞台にした『ブギーナイツ』(97)、異色の群像劇『マグノリア』(99)、近年では仕立て屋と若きウェイトレスの愛を描いた『ファントム・スレッド』(17)などで知られる鬼才、ポール・トーマス・アンダーソン監督が新作の舞台に選んだのは、これまでも映画を撮ってきた自身の出身地であるサンフェルナンド・バレー。70年代のハリウッド近郊のムードをスクリーンに充満させながら、恋愛とも友情ともラベルを貼れないような関係を描き出している。
先読みできない展開と謎のサスペンス
子役として活動してきたどこか大人びた高校生のゲイリーは、学校にやってきたカメラマンのアシスタントである25歳のアラナに一瞬にして惹かれてしまう。子役としては成長しすぎてしまったゲイリーと、自分の居場所を探しているアラナは、年齢は離れていても無意識に響きあうものを感じたのかもしれない。ときどき距離を詰めたり、離れたりしながら、ふたりだけのフェアな関係を築いていく日々が描かれている。
監督の実体験や周囲の人たちから聞いた話をベースにしているというが、常識に縛られた目で見ると先読みできない展開が続く。十代にして野心的なビジネスマンでもあるゲイリーはウォーターベッドの事業を立ち上げ、ときには殺人犯に間違えられたりもする。アラナが知り合ったベテラン俳優は、彼女をそっちのけでバイクにまたがって炎のなかを進み、かつて主演した映画のワンシーンを再現したりするのだ。そしてプロデューサーの邸宅にウォーターベッドを搬入するときの、車とトラックをめぐる謎のサスペンス! カリフォルニアの太陽や夜の灯りの下で監督はそんないくつもの不思議な冒険を描き、観る者の心に忘れがたい瞬間を刻み込んでいく。
ゲイリーを演じるのは、監督作品の常連俳優だった故・フィリップ・シーモア・ホフマンの息子、クーパー・ホフマン。表情とスタイルに父の面影を感じさせ、早くも次の出演作が楽しみになる逸材だ。
ほとんどメイクをほどこさずに素顔のままでアラナを演じるのは、三姉妹バンド、ハイムの三女、アラナ・ハイム。三姉妹の母が監督の美術の先生だったと聞けば、この映画にあふれている親密な空気にも納得がいくのではないだろうか。
映画初出演のふたりの周りに顔を揃えたショーン・ペン、トム・ウェイツ、ブラッドリー・クーパーらの怪演が何ともあやしく、奇妙な高揚感を盛り上げる。
70年代を完璧に再現したファッション
70年代の映画界のエピソードを盛り込んだ作品といえばタランティーノの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(19)が浮かぶが、『リコリス・ピザ』にもさまざまな要素が入っている。それらを読み解いていく喜びもあるし、70年代を完璧に再現したレトロなファッションやインテリアにヒントを見つけたり、映画館で当時のヒット曲を浴びたりするのも楽しい。
ちなみにタイトルにもなっているのに劇中には登場しない「リコリス・ピザ」は、70年代にカリフォルニアで人気を集めたレコード・チェーン店の名称だという。監督のパーソナルでノスタルジックな感触と、この時代を知らない人の胸にも届く普遍的な輝きが同居する愛おしい青春映画だ。