京都は二条城前のラグジュアリーホテル『HOTEL THE MITSUI KYOTO』に滞在。日本最高峰の工芸品・美術品に溢れた博物館のようなこのホテルの真の魅力は、居心地の良さかもしれない。
油小路の三井の屋敷
徳川家の京都における城、二条城。その向かいに 『HOTEL THE MITSUI KYOTO』はある。正確にはホテルは二条城前の堀川通りを挟んで、二条城に背を向ける形で建っている。ホテルの入口は、油小路通りの側にある。
こぢんまりとした町家が立ち並ぶ京都の一等地に、これだけ大きなホテルがあるのか、と驚くけれど、ここは江戸の頃には福井藩の藩邸、京都における福井藩の連絡事務所のようなところだったのだそうだ。
「だから敷地が広いのか」と、通りの立て札に書かれている情報で、納得・終了してしまってはいけない。この場所には、とんでもない前史があるのだから。かの財閥、三井家の中枢部だった、という、日本史的にもかなり重大な前史が。
三井家の元祖とよばれる、三井高利の長男、三井高平が1691年に取得した土地がここなのだ。高利、高平の一族は、三井家のなかでも総領家とよばれる家であり、ここ油小路に屋敷を構えたことから、以降、油小路家とも呼ばれるようになった。北家という呼び名もあるけれど、それはこの油小路の土地の南隣に、高利の九男にあたる高久が居を構えたため。1710年になると、三井家の全事業の統括機関「大元方」が油小路に置かれ、名実ともに、ここが、三井家の中心、今風にいえばホールディングカンパニーの本社となった。
福井藩には、幕末の動乱期に「貸していた」だけだそうで、明治維新後はまた、北家が邸宅として使用した。
第二次世界大戦後は、三井家にとっては苦難の時代で、財閥解体の影響を強く受け、油小路の屋敷も手放すことになる。そしてここは『京都国際ホテル』として親しまれていたのだけれど、2020年、三井不動産グループはフラッグシップホテルである『HOTEL THE MITSUI KYOTO』をここに開業した。つまり、この油小路の屋敷は、再び三井の手に戻ったのである。
機能的に優れている
訪れてまず、ここがただのホテルではないとおもわせるのが、門だ。
この門、1698年、当時は梶井宮と呼ばれていた、現在は京都市左京区大原にある『三千院』が、京都御所のそばの河原町今出川に移された際に、その門として1703年に造られ、1935年に、油小路邸の門として移されたものだそうだ。そして、ホテルとしての新生にあたって、また少し移動するとともに、1935年以来の修理が行われた。外観はキープ。それまでの部材を80%以上残しながら、安全性や耐震性などを現在基準にアップデートしているという。現在、国の登録有形文化財(建造物)だ。
そこから建物に入ってすぐはロビー&ラウンジ。2重の自動ドアを入ってすぐに、大きな焼き物のインスタレーションがある。
これは岩手出身の芸術家、泉田之也氏の作品なのだけれど、この作品のあるロビーから、その先のラウンジ、さらにその向こうの庭園へと、自然に視線は導かれる。空間が奥に向かって、段階的に、明るく、広く、高くなっていくからだ。
上手だな、とおもうのが、ドアの真正面にこの作品があるおかげで、視線は奥へと導かれるのに、ドアからの直線的な動線は塞がれるところ。この作品を迂回するルートに、レセプションやコンシエルジュなど、ホテルの顔となるスタッフたちがいるスペースと、荷物の受け渡しや、ちょっとした待機ができる吹き溜まり的な十分な空間があるのだ。
そんなに広い空間とはおもえないけれど、入り口を入ってすぐの、混み合うはずの場所なのに、他のゲストはほとんど気にならないし、たくさんのスタッフに出迎えてもらっている気分になる。実際、必要とあらばいつでもスタッフに声をかけられる距離感。この空間の、機能的なのは見事だとおもう。
そして、これに類する印象は滞在中、ずっと続いた。このホテルは、デザイナーがデザイン優先で造った、写真写りはいいけれど、使い勝手が悪い、というようなものではなくて、ホテルのことを熟知した人が、使いやすいように、デザインしているのだとおもう。動と静のバランスがよく、ホテル内を動き回って、ストレスがない。
見どころではない場所がない
このホテルはとにかく見どころが多い。
まず、全体像だけれど、雰囲気的には和風ながら、このホテルは、庭園を中心として、その周囲を建物がロの字状に囲む、ヨーロッパの中庭をもつ都市の住居建築と同様の形状をしている。だから中央の庭園も日本庭園風でありながら、実質的には中庭、いわゆるコートに近い。
そしてこの形状ゆえ、このホテルならではの二条城に面した部屋までだと、ロビー&ラウンジからの移動距離は、ロの字を半周することになり、結構、長い。しかし、それが苦痛には感じられないのだ。
と、いうよりも、移動中も、そこここに置かれたアート作品はよいマイルストーンになるし、千本鳥居を模した通路など、見どころだらけで全然、退屈しない。もちろん、たとえばトイレであるとかエレベーターであるとかいった、ホテルの機能も、その間に控えめに配置されていて、機能性は相変わらず高い。
部屋を含む館内のあちこちにある、三井家ゆかりの国宝や重要文化財をモチーフとした品々、歴史ある美術品・工芸品、そして現代の作品、といった、ぱっと目につく贅沢な芸術以外も、よくよく見てみれば、壁とか棚とか扉とかいった部分がいちいち普通ではないことに気づくはずだ。新しい建造物にはありがちでもある、材質は高級だけれど、ユニット化された部材を組み合わせただけ、と感じてしまうような部分は、滞在中、一つとして発見できなかった。
もしも、1時間弱の余裕があるのならば「アンバサダーと巡るHOTEL THE MITSUI KYOTOアートツアー」という無料プログラムに参加してみてほしい。ホテルを知り尽くしたスタッフが、なんとも美しい所作で、ホテルのあちこちにある見どころを紹介してくれる。そのうえで、これは? あれは? とたずねると、それぞれのバックストーリーを教えてくれる。
このホテルにあるものは、本当に何にでも、ストーリーがある。扉ひとつとっても、これはかつて、梶井宮門に使われていて、今回の修復に際して、置き換えられた木材から造っている、などといった具合に。
この、新しいホテルであるにもかかわらず、ずっと存在したもの、あるいは、これからずっと存在することを想定しているものであふれた空間であること、そしてその空間が、人間が使いやすいようになっていることが、このホテルに、生々しいとすら言えるような、人間が生きてきた場所、という雰囲気を与えているのだとおもう。もしも、細部に興味がなかったにしても、意味あるもので構成された空間は、そこにいる人に「実家のような安心感」を与えてくれるはずだ。
HOTEL THE MITSUI KYOTOに滞在して、もっとも特徴的に感じたことが、そういう、自分が大きな物事の流れの一部にいるという感覚、安心感だった。
京都のど真ん中のプライベート温泉
ほかにも話したいことは色々とある。ディナーをいただいた館内のイタリア料理レストラン『FORNI(フォルニ)』は、桜の開花を目前にした3月だったので、春をモチーフとしたメニューを展開していて、これに合わせてイタリアのロゼワインだけでペアリングを仕掛けた石井龍シェフソムリエのワインのセレクトはとても興味深かったし、『都季(TOKI)』という地産地消に拘り、京都のローカル性を強めたイノベーティブなフレンチレストランに、ランチタイムは『結一(YUI)』という「サステナブルな日本料理」をコンセプトとしたレストランがスタートした、というニュースもある。
が、それよりなにより、言及すべきは温泉だろう。
こんな京都のど真ん中で温泉宿なんて想像しづらいのだけれど、京都の地下には水がある。HOTEL THE MITSUI KYOTOは先述の梶井宮門のちょっと裏手を、この水があるところまで、約1000mも掘って、天然の温泉水を使ったスパを地下に用意したのだ。更衣室は男女で分かれるけれど、内部は男女一緒で水着を着て入るスタイル。
この温泉を、自宅のお風呂のように楽しみたい、という和の贅沢をお望みであれば、特別なスイートルームとして『Onsenスイート』も用意されている。ただ、こちらは161部屋もあるこのホテルでもたった2部屋の予約困難ルームだということにはご注意を。争奪戦は必至だ。
とはいえ、Onsenスイートが満室だからといってプライベートな温泉体験を諦めるのはまだ早い。というのは時間貸しの、その名も『プライベート温泉』も用意されているからだ。
100平方メートル超の空間は、ひろびろとした温泉とリビングスペースに分かれ、もちろん、ルームサービスで食事などもできる。場所は地下なのだけれど、壁面はガラス張りで、その向こうにはランドスケープデザイナー 宮城俊作氏が設えた日本庭園があり、そこから豊かな日差しが入るため、二条城の隣で、自然光あふれる地下の温泉ルーム、という、贅沢すぎる隠れ家?秘密基地?気分を味わうことができる。
四季がテーマ
HOTEL THE MITSUI KYOTOは、四季が、全体を貫くコンセプトになっている。神の威光とか、奇跡とか、勝利の歴史とかではなく、季節の移ろいと季節季節の自然の美しさ。日本らしいではないか。素朴で、穏やかだ。
そして、これからの時代、僕たちは結局、互いに争い、勝敗を決するのではなく、自然とともに生きるように、またなっていくのかもしれない。そういう意味でもここは、新しい場所であるにも関わらず、歴史からは学ぶことがいろいろあるんだ、とおもわせてくれる。