文=三村 大介

中銀カプセルタワービル 写真=GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート

『ブレードランナー』という未来

 環境汚染が進み酸性雨が降り続けるロサンゼルス。ゲイシャと「強力わかもと」が映し出された高層ビルの壁面ビジョンの前を、空飛ぶ車が過ぎ去って行く。街中にはひらがなや漢字で書かれた看板やネオンサインがあふれ、多国籍の人々が行き交う屋台では、うどんが注文される・・・。

 これは私が大好きな映画作品の1つ、今から約40年前、1982年に公開された『ブレードランナー』における、あまりにも有名な未来都市の姿だ。

「ブレードランナー」(1982) 写真=Photofest/アフロ

 それまでの定番であったクリーンでハイテク、ピカピカでキラキラとした明るい未来都市とは似ても似つかない、哀愁や寂寥感が漂うダークでジメジメした退廃的な未来都市は審美的でもあった。

 残念ながらこの作品は、公開当初は酷評されることも多く、興行的にも振るわなかったため、早々に上映が打ち切られてしまったようだが、今では『SF映画ベスト100』や『史上最高の映画100本』の上位に選出される傑作映画として評価され、いわゆるジャパニメーションの代表作である『AKIRA』や『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』などはもちろん、後発のSF映画作品に多大なる影響を与えている。

 本作の監督リドリー・スコットは、この未来都市を来日した際に訪れた歌舞伎町や香港の街並みにインスパイアされたと語っている。混沌として無国籍な風景の「未来」を見出したのだろうが、なんと本作の設定では、舞台は2019年。残念ながら、現実の「未来」は『ブレードランナー』には追い付かなかったようだ。ちなみに『ブレードランナー』の原案となった『アンドロイドは電気羊の夢をみるか?』(P・K・ディック/1968年出版)では、さらに古い1992年の設定だったようだ

新宿・歌舞伎町Kakidai, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

 そんな『ブレードランナー』登場より遡ること10年、1972年に「未来」を夢見た建築が東京に誕生していた。黒川紀章が設計した《中銀カプセルタワービル》、世界で初めて実用化されたカプセル型の集合住宅である。

 そして《中銀カプセルタワービル》は日本発信の建築思想である『メタボリズム』が具現化された建築の1つで、今なお実在する数少ない貴重な建築である。

中銀カプセルタワービル 写真=フォトライブラリー

 

日本発信の建築思想「メタボリズム」

 1950年代以降、高度経済成長期という大きな波に乗り、「もはや戦後ではない」として、日本は発展を続ける。しかし、その一方で人口の急激な増加や都市の急速な更新・膨張が問題になりつつもあった。そんな中、1960年 に『世界デザイン会議』が日本で開催されるのを機に、黒川紀章や菊竹清訓といった日本の若手建築家・都市計画家によって『メタボリズム・グループ』が結成される。

 彼らは、建築や都市も社会や環境の変化に合わせて、新陳代謝(メタボリズム)をしながら変化していくべきだとして、可変性や増築性に対応し、有機的に発展する「未来」を提案した。古い細胞が新しい細胞に入れ替わるように、木々が枝葉を広げ森へと成長していくように、「生命の原理」が将来の社会や文化を支えると彼らは謳った。

 

『メタボリズム』のシンボル的建築

 この運動の中心人物の一人であった黒川紀章の作品《中銀カプセルタワービル》はまさに、『メタボリズム』のシンボル的建築である。

 約10平方メートルという狭小空間のワンルーム。テレビやオープンリール、電話機など当時最先端のアイテムがコンパクトに壁に組み込まれ、純白な内装に大きな丸窓。それはまるでスタンリー・キューブリックが描く宇宙船のよう。室内にはユニットバスはあるが、キッチンも洗濯機置き場もない。なんと、完成当時は、今でいうコンシェルジュが洗濯、掃除、食事の手配を行っていたそうだ。

森美術館の展示より、中銀カプセルタワービルの内観 ディック・ジョンソン, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons

 工場で製作されたこの住宅カプセルは取り外し、そして取り替え可能。なので老朽化すれば新しいカプセルに交換すればいい、引っ越ししたければカプセルごと移動し、別の都市のタワーにカプセルを設置すればいい、子どもが成長すれば、子ども用カプセル住居を取り外し、カプセルごと子どもは巣立てばいい・・・まさしく『メタボリズム=新陳代謝』が行われる集合住宅が《中銀カプセルタワービル》であった。ちなみにカプセルの大きさはトラックに積み、日本の道路を走れる大きさに設定されていた。なんと気が利いていることか。

 

保存か、建て替えか

 大樹にたくさんの鳥の巣が作られたように、もしくは巨大な植物がたわわな実を付けたように、140基の住宅カプセルをまとった《中銀カプセルタワー》は、今も銀座の一等地に建っているが、残念ながら竣工後50年近くになった現在までカプセルの「新陳代謝」は一度も行われていない。

 当初は25年ぐらいで交換する予定だったようだが、実現せずに老朽化は進む一方。壁の裏側に吹き付けられたアスベストが問題視されたこともあった。そうなると、この日本では必然的に巻き起こるのが「売却・建替」論。耐久性や耐震性の安全性を心配する声はもちろん、「銀座という土地が高い場所に、こんな効率の悪い建物ではなく、ホテルなど経済的効果があるものを作るべき」という意見が必ず出てくる。

銀座8丁目という立地に立つ中銀カプセルタワービル 写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート

 一方、《中銀カプセルタワービル》は『メタボリズム』という日本発の建築思想が具現化された貴重な作品であること、世界的にも有名であり、建築遺産、観光資産としても有用な建築であることなどから、カプセルの全交換とカプセルが取り付けられているコアタワーの耐震補強することで、保存、再生すべきという主張も当然出てくる。

 売却・建替派と保存・再生派の対立はリーマンショック、東日本大震災そしてコロナ禍という社会の大きな動きに翻弄されながら、20年近く続くことになるが、2021年3月22日、建て替えを前提にした不動産業者への売却が決定したと報道された。

 結局、黒川紀章が夢見た「未来」は、実現せずに終焉を迎えることになってしまいそうだ。しかし、持続可能な世界の実現(SDGs)が求められる現在、彼の思い描いた『メタボリズム』は、それに対して最も適した世界観の1つかもしれない。

 環境破壊と酸性雨などはもちろん無く、多様な価値観を許容する「共生」の社会。『ブレードランナー』そして『アンドロイドは電気羊の夢をみるか?』が結果的には、現実以上の先の時代を描いていたように、もしかしたら『メタボリズム』も時代が後から追いつき、追い越すかもしれない。しかし、そんな未来まで私が長生きできるかどうかは残念ながらわからないが・・・。