若き鈴木慶一の肖像

──鈴木さんはお若い頃から達観できていたんですね。

 とんでもない(笑)。若いときには余裕がなかったよ。余裕をかましているように見せているだけだった気がする(笑)。若さゆえの自分隠しだ。

──(笑)。

 そして、若い頃は、単に、ものごとを決断するスピードが遅かったんですよ。まだあんまりわかってないしさ。老人になると決断が早くなる。もう先は短いわけだから、素早く結論出さないと人生が終わっちゃうじゃん(笑)。

──ということは、鈴木慶一青年にも悩みや迷いがあったんですね。

 そりゃそうだよ。若いときは迷いっぱなしだよ。

──その中で、最も大きかったことはなんだったと思いますか?

 1951年に親父とおふくろが結婚後、数ヶ月で私生んでくれたということかな。20世紀のど真ん中で、つまり、自分の成長とポップ・ミュージックの広がりが見事に同期したんだよね。1964年、中学生の時にビートルズの「抱きしめたい」を聴いて、その後彼らはどんどんと変わっていく。同じことはやらないわけだ。そして社会に出る1970年にビートルズは解散する。そのことが50年以上経った今も心に残っているよね。あのときにあれを体験できたのは、本当に夢のような出来事だった。いや、「夢」は見ないんだけどね(笑)。

──大丈夫です(笑)。

 60年代をあんなふうに過ごせたことは素晴らしかった。ビートルズ解散後の1971年の私は20歳で、既に自分も音楽を始めているわけだし、当時の日本に、僕らがやっているような音楽はそう多くはなかった。その後ほぼ同じメンバーやスタッフで小さな社会ができて、無くなって、かたちや人が変わって、また出来てを繰り返して50年近く続けられている。すごく感謝するよね。誰への感謝かわからないんだけどね。出会いに感謝かな。

バンド=民主主義には手間がかかる

──この2021年、久々にムーンライダーズが活動を開始します。結成から46年目。日本で、ひとつのバンドをここまで長く、メンバーチェンジもほとんどなく続けている例はほとんどないと思います。

 確かにそうかもしれない。

──そのコツはなんでしょう。

 ひとことでいうと、優しさですね。

──優しさ! 

 そう。メンバー全員が、ムーンライダーズというバンド、その名前/ブランドに対して、優しい。バンドがいい作品をつくるためなら徹夜でもなんでもするぞ、と。これは優しさです。バンドって面倒なんだよね。でも、その面倒を嫌がったり、手間暇を惜しむ人は誰もいなかった。これはムーンライダーズの特徴で、本当に幸せなことだよね。

──バンドの面倒というのは?

 民主主義には手間がかかる(笑)。やっぱり人はそれぞれ違うしさ。変化もあるし、40年以上一緒にやってても、あれ、君ってそんなキャラクターを持っていたの? ということもある。それをすべて認めて、違いを取り込んで、ぶつけ合って音楽を作る。それは途方もなく面倒なことなんだけど、それでもそうしたほうが質の高いものが生まれるという確信がある。手間暇かけてもやるぞ、という覚悟みたいなものがあるのかな。個性はそれぞれ違うけれど、お互いが無意識にこいつとは合うと思える。これは奇跡というか、素晴らしい偶然だよね。

──成熟した人間関係になっているんですね。

 ひとりの力では無理があるからね。音楽は社会的なもので、人間関係でもある。ひとりでは、自分が作った音楽の良し悪しすら上手く判断できない。映画音楽も、それをどう使うかを決めるのは監督だったりするよね。人間関係が一切ないとしたら、自分以外は誰も聴かない音楽を作るということでもある。それは……一度やってみたいけどね(笑)。