文=松原孝臣 写真=積紫乃

小塚崇彦がスケート靴の「ブレード」を開発した理由(第1回)
スケートのブレードに革命を起こす山一ハガネの挑戦(第2回)
宇野昌磨ほか様々な選手が使用、小塚ブレードの深化(第3回)

小塚崇彦(右)とフィギュアスケート靴を開発する松本哲也。

スケーターを悩ませる靴問題

 フィギュアスケーターにとって重要な道具である金属の刃「ブレード」。氷と接する部分の耐久性、品質のばらつきという課題を、自ら開発をプロデュースすることで解決を図り、「KOZUKA BLADES」(小塚ブレード)という製品に結びつけた小塚崇彦は、今、スケート靴の開発にも注力する。

 ブレード同様、あるいはそれ以上に靴もスケーターを悩ませてきた。靴も消耗品のため、選手によって交換する期間はさまざまだが、おおよそ、1カ月半程度から4カ月くらいで替える。

 トップスケーターの多くはオーダーメイドしているが、彼らが使用する靴のメーカーは海外が占めている。そのため新調してみたら靴が合わず交換に時間がかかる、というケースがしばしば出てくる。

 また、スケートの靴は、新しいものは硬い。そのため時間をかけて、ならしていく必要がある一方で、消耗して柔らかくなりすぎれば替え時だ。すると、先に記したように「合わない」という問題が出てくる。

スケート靴をカーボンに?

 現役時代、自らも靴に苦しむシーズンも過ごした経験を持つ小塚のもとに連絡があったのはおよそ2年ほど前のことだ。元スピードスケートの選手の清水宏保だった。清水の用件は、靴を作りたいという人がいること、紹介したいというものだった。

 それが、今、共同で開発にあたる松本哲也だった。カーボンファイバーを用いたものづくりで、モータースポーツや競輪、飛行機やロケットなど多くの分野で実績を残す株式会社ティーワンの代表取締役である。清水が長野オリンピックで金メダルを獲得した際、履いていた靴も松本が開発したものであった。

「清水さんとは長野の前から引退したあともつながっていて、その頃からフィギュアスケートの靴をカーボンにしたら軽くなるのに、と思っていました。やはりやりたいと思って、清水さんに連絡したのです」

 小塚も靴に問題意識はあったから、会った当日、「やりましょう」とスタートを切った。

 小塚は言う。

「同じメーカーの同じブランドでも足を入れると違う。だから何十足の中から選ぶ選手もいる。問題を解決するためにカーボンはいいなと思いました」

革靴のようにしなやかで壊れない靴

 松本が靴を掲げ、「これは最新の8号機です」と語った。「1号機」が完成したのは昨春のこと。以降、改善を図ってきた。

「8号機と言っていますが、実際は30足くらい作ってきました」

開発中のフィギュアスケート靴。

 はじめは「二次元のスピードスケートに対してジャンプもあるフィギュアスケートは軽い方がいいだろう、滑っていても疲れないはずだ」という発想だったという。いざ開発を始めると、奥深さを知っていった。

「小塚さんには、スピン、ジャンプ、滑る、そのときの足の動き、指の動きを教えてもらいました。思っていたより足首が曲がったりしていて、硬いと曲げられないし、どうしようと考えました」

 小塚が語る。

「松本さんに伝えたことでいちばん大きかったのは足の動きもそうですし、靴の中のことですね。選手の靴の中はとても狭く、足にぴたりとフィットしていて、その中で足、指を動かしています。空間が大きいと僕たちでもふらふらしてしまうくらいです。ですから空間を埋めてほしいと伝えました」

 小塚の母の言葉も印象に残っていると松本は言う。

「革の靴の様にしなやかに滑れる様にしたい」

 しなやかであり壊れない。それを両立させなければならない。その反映を図り、2号機から3号機で大きく変化したという。

「3号機が僕の中では画期的でした」(松本)

フィギュアスケートの常識を覆す

 開発にあたっては、全国のたくさんのスケーターの足型もとった。その数は160名に及ぶという。その作業の中で、選手たちの靴への意見も拾い続けた。多かったのは同じ靴が出来上がってこないこと、我慢して履いているという声だった。

「道具を人間に近づけなければいけないとあらためて思いました」(松本)

 振付師などで活躍する宮本賢二、コーチでありテクニカル・スペシャリストでもある岡崎真らも試用し、感想を伝えてくれた。

「ブレードを開発していたことで、足型をとるにしても、先生方にもスムースに話が進みました。ブレードがあって、靴があると思っています」(小塚)

 松本もこう語る。

「小塚ブレードを基準に、この組み合わせがベストだと考えて作っています」

 しなやかであって強度があり、軽い。作りをばらつかせない。そんな追求をしてきた。松本は言う。

「履き心地とかはだいぶ見えてきました。あとは耐久性などを検証しより軽量化するなどやることもまだありますが、あと半年くらいで選手に履いてはいてもらえるものを、と思います」

 小塚が語る。

「靴を替える怖さは理解しています。タイミングもあるでしょう。でもいいものを作って、オリンピックや世界選手権でメダルを獲る、そんなときが来ることを楽しみにしています」

 2人の話を聞いていた山一ハガネの石川貴規はこう語った。

「フィギュア界に携わる人間として、ともに活躍していいものを作りたいという思いがあります。自分たちはブレード、そこにつく靴もメイドインジャパン。オリンピックで輝く者にしたいです」

「常識」を覆す挑戦の道が続いていく。

左から小塚崇彦、山一ハガネの石川貴規、ティーワンの松本哲也。

小塚崇彦(こづか・たかひこ)現役時代は2010年のバンクーバーオリンピックに出場し8位入賞、2011年の世界選手権で銀メダル。2016年に引退。その後、多方面で活動。スケート教室を開催するなど普及にも力を入れている。