文=鈴木文彦

ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ『東方の三賢者の礼拝』 302×282㎝ 制作年/1423年 所蔵/ウフィツィ美術館 種類/油彩
©︎Mondadori Portfolio/getty images 

写真が真実を写すというのは原理主義的すぎやしまいか?

 「動く写真」に出会った時には、なんていいアイデアなんだ、とおもいました。動く写真というのは筆者の勝手な命名で、スマートフォンのカメラで写真を撮ると、短時間の動画が撮影されたり、複数回シャッターが押されたりして完成する写真のことです。出来上がるファイルは、動画だったり、動画のなかからベストショットと判断された画像だったり、複数の画像が合成された一枚の画像だったりしますよね。

 写真が真実を写す、という人にはよく出会いますが、これはちょっと原理主義的すぎるように感じています。写真も絵の一種、と考えれば、現代のスマートフォンがやっているようなアプローチは当然あっていいもので、ベストな一瞬を写し取ることだけが絵の表現方法ではないはずです。

 

真・善・美

 カメラという言葉はカメラ・オブスクラというラテン語から来ています。暗い(オブスクラ)部屋(カメラ)という意味で、紀元前の時代から知られた仕組みです。暗い部屋の壁の一面にピンホール状の小さな穴をあけると、穴を通った光が反対側の壁に像を結ぶ現象を利用した装置というか部屋のことを指し、おもに天文学の分野で利用されていました。15世紀頃、ヨーロッパの画家たちは、三次元の世界を壁面上、つまり二次元に投影できるこの仕組を絵画に利用しました。

 というのも、その時期はルネッサンスの時期だからです。科学の探求、真実の追求がなされた時代、絵画にも三次元空間をリアルに切り取る手法が生まれ、磨かれていったのです。と、同時に、絵画には一瞬が描かれるようになっていきました。この手法の傑作は、たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』でしょう。1495年から1498年までに描かれたとされるこの絵は、まるで、いまここで、実際にイエス・キリストの最後の晩餐が繰り広げられているかのように描かれています。

 1回でひとつの作品をフィーチャーすること、というルールがこの連載にはあるので、あまり多くの作品の話をすると編集部におこられてしまいますが、『最後の晩餐』の少し前、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ大聖堂ブランカッチ礼拝堂にある1420年代にマサッチオが描いたフレスコ画『貢の銭』は、一見、一瞬を切り取った絵画のように見えるのですが、実は、そうではありません。

 この絵には、キリスト一行に税金を払えと言ってくる役人がいたので、弟子のシモンに湖で魚を取っておいで、その魚の口にお金が入っているから、それで払いなさいというキリスト、魚を取って口からお金を取り出すシモン、そのお金で支払いをしているシモン、それを受け取る役人、という聖書のストーリーが一枚の絵画に描かれています。だからこの絵のなかにはシモンは3人、同じ役人が2人、描かれています。

 この絵画のように、一枚の絵のなかに、複数の時間が描かれている絵画、というのは、絵画のなかで、そんなに珍しいものではありません。今回、話題にしたいのは、この『貢の銭』とほぼ同時代、1423年にジェンティーレ・ダ・ファブリアーノという、これまたイタリアの画家が描いた『東方の三賢者の礼拝』という絵画です。

 

絵画の目的

青いローブをまとっているのが聖母マリア、その奥が夫のヨセフ。ご注目いただきたいのは、マリアの背後にいる女性。ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノは国際ゴシック様式の代表的な画家、とされているけれど、この女性の頭部や衣服の質感、ドレープの美しさなどは、国際ゴシック様式の真骨頂のような表現。体をひねって背中を見せていることで、画面の左端に三次元的な奥行きも与えている

 この板に描かれた、日本的に言えば屏風みたいな絵は、いまはフィレンツェのウフィツィ美術館にあります。もともとはパッラ・ディ・ノフェーリ・ストロッツィという貴族の出資で、おなじくフィレンツェのサンタ・トリニタ聖堂の礼拝堂の祭壇画としてつくられたものです。生まれたばかりのイエス・キリストと、そのもとを訪れた東方の三賢者がもっとも大きく目立つように描かれています。

 こういう絵画は、聖書のストーリーを教会を訪れる人にわかりやすく伝える、という目的で描かれていました。誰もが文字、しかもラテン語を読める時代ではないですし、よしんば読めたにしても本の大量生産はできない時代です。教会のなかに絵をおいて、キリストの生涯、つまり聖書のストーリーを紹介するのは手っ取り早い手段でした。

 教会というのは、絵本みたいな場所でもあるのです。司祭など聖職者は、絵本を読んでくれる先生みたいな存在です。

 そういうところに置かれる絵は、わかりやすいこと、そして、説得力があることが重要です。時に、そもそも教会にあった絵では、赤子のイエス・キリストが大人のマリアより大きく描かれていたり、きらびやかな色彩が使われていたり、聖人の頭の後ろに金色の円盤が描かれていたり、絵に描かれている人や動物が、そろってこっちを向いていたりします。それは、そのほうがわかりやすいし、迫力があるからです。

 この『東方の三賢者の礼拝』には、わかりやすく、豪華に、聖書の重要なストーリーが詰め込まれています。

この絵は、祭壇に飾られる絵で、そういう作品には、下に、漫画のコマのような板絵がはめ込まれていることがある。これをプレデッラというのだけれど、この作品はプレデッラを説明するときにも引用されがち。ここにはイエス・キリストの幼年期の物語が描かれていて、東方の三賢者の物語を補足している。

 この絵を見ながらであれば、うまや(牛が描かれていますが)でイエス・キリストが生まれたことがわかります。聖母マリア、その夫のヨセフ、三賢者には、金の輪っかが頭のところについていて、目立ちます。賢者は、手に、贈り物をもっていることもわかります。そして、たくさんの人々が救世主の誕生につめかけていることで、この出来事が重要な出来事であったこともわかります。ちなみに、つめかけている人々のなかにはこの絵の出資者、パッラ・ディ・ノフェーリ・ストロッツィとその息子ロレンツォもいるというので、地元の有力者も、キリスト教の敬虔な信徒であり、こんなに豪華な絵をつくらせ、教会におさめる、偉い人であることも、説明できるかもしれません。

キリスト教の文脈では、東方の三賢者はユダヤ王国の王、ヘロデ王にユダヤ人の王として生まれた方はどこにいるのか、たずね、ヘロデ王が司祭や学者にたずねて、イエス・キリストがベツレヘムに生まれたことを告げる、という物語になっている。中央上部のこの場面は、そのヘロデ王の宮殿に三賢者が到着したシーン。緻密な描写は見るものを圧倒する。そしてこの部分をはじめ、さまざまな珍しい動物が描かれているのも特徴で、この時期の貴族の趣味を反映したもの、とされる。

 さらに、この絵画は左側の上に、イエスの降誕を告げる星を発見した三賢者、中央の上には、ヘロデ王の宮殿に到着する三賢者、右部の上部にはベツレヘムの地に到着する三賢者、と、三賢者の旅も、小さくはありますがはっきりと描かれています。リアルに考えるのであれば、背景はボケてしまいますし、そもそも、前景に登場しているのと同じ人物の過去が背景に描かれている、というのは矛盾しています。しかし、これがあることによって、この絵一枚を読み解くことで、さらに詳しく、聖書のエピソードが紹介できるのです。

 こういった絵は、アートではないでしょうか? ルネッサンス期以降、不合理であるとしてなくなってしまった表現方法でしょうか? それがスマートフォンのカメラによって、再発見されたのでしょうか? いえいえ、アートのなかにはこのように、複数の時間が扱われている作品が、この時期のあとにもたくさんあります。それはまた今後、ご紹介したいとおもいます。

 ぜひ、覚えておいていただきたいのは、絵画であれ写真であれ、作者は何かを表現したくて作品をつくっているのだ、ということです。そして、そのために、いろいろな表現方法を選択するのです。一瞬を写す、というのは方法のひとつにすぎません。

 映像は一瞬を切り取ったものだ、という固定概念に現代人はとらわれがちです。アートを読む際には、その作品が一瞬を表現したものではないかもしれない、という疑問をもってみてください。