文=鈴木文彦

ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル『アンジェリカを救うルッジェーロ』 47.6×39.4cm
制作年/1819-39年
所蔵/ロンドン・ナショナル・ギャラリー
種類/油彩・カンヴァス
©️The National Gallery, London. Bought, 1918
©️Heritage Images

裸の少女を怪物から救う英雄

 最近、美術展も再開されはじめたので、そういったところで実際に見られる絵画を扱ってみるのはどうでしょう? とAutograph編集部から提案をうけました。まだまだ厳重警戒のもと、ではありますが、会期の変更などをして再開、ないし、開催されている展覧会のなかに、「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」があります。筆者、その出品目録のなかに、得意分野である19世紀フランスの絵画、『アンジェリカを救うルッジェーロ』を発見したので、今回は、これを扱ってみたいとおもいます。この絵画は、実際に見に行くことで、もしかしたら19世紀のフランス人気分を味わえるかも知れません。

 この絵画はアングルという画家が描いたもので、1819年に、サロン(官展)という、パリで1700年代から1880年まで開催されていた国営の美術展にて公開されました。現在はルーヴル美術館の所蔵です。それがこの絵画のオリジナルなのですが、オリジナルのほかにいくつか、横幅の狭いバージョンが描かれていて、今回、「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」で見られるのは、オリジナルではないもののうちのひとつ。印象派の画家、ドガが持っていたものだそうです。オリジナルではないとはいっても、描いたのはアングルなので本物のうちの一枚です。

 アングルは絵画の歴史では決定的存在で、とても重要な画家なのですが、今回注目したいのはこの絵に描かれている裸の女性、アンジェリカです。

 この女性キャラクターは『狂えるオルランド』という物語に登場する、中国(キタイ)の王様の娘です。金髪美女なので、全然、そう見えませんが。彼女は野蛮人に拉致されたうえで、海の怪物オルカへの生贄として裸にされてブルターニュの海岸ちかくで、岩に鎖で繋がれています。苦痛に顔を歪め、身をよじるアンジェリカ。怪物オルカはすぐそこに。ああ、もう食われそう、という絶望的なそのとき、通りがかった英雄のルッジェーロが見かけて助ける、というのがこの絵のシーンです。

このシーンの元ネタになっているのは、おそらくギリシャ神話の英雄ペルセウスがアンドロメダを救う物語。ルッジェーロの乗るヒッポグリフは、後のファンタジーものにしばしば登場する怪物で、その姿を詳細に設定したのは『狂えるオルランド』が初。アングルは、見事にビジュアル化している

 この絵画、ルッジェーロとルッジェーロが乗っている怪物ヒッポグリフ、なども見事なのですが、やはり、アンジェリカがとても目立ちます。なにやら光ってる感じで描かれていますし。どう考えても、目がいくのは、アンジェリカです。

 

アングルの愛

 アングルといえば、やはり女性、それも裸の女性です。代表作も、『グランド・オダリスク』という裸婦を描いた絵です。

 アングルが女性を描くことに執念を燃やしていたことは、たとえば、アングルと同時代の詩人で美術評論家でもあるボードレールも語っているところです。ボードレール曰く、アングルの「女性への愛がアングルの才能を際立たせている」。アングルの天才は、「若い女性の魅力と取り組んでいるときほどに幸福であることも強力であることも決してない」。アングルは「女たちを見るがままに描く。というのも彼女らをあまりに愛するがゆえに、彼女らを変えたいなどと思ったりはしないかのようだ。女たちのほんの些細な美しい点にも、外科医の熱心さをもって執着する。女たちの体の線のほんのかすかな波動をも、恋する男の卑屈さをもって追ってゆく」。

 さて、この当時、画家は女性のヌードをどうやって描いていたでしょう。それは、いまもおなじで、モデルを見て描くのです。モデルは当然、画家の前で裸になってくれる女性です。たいていは男である画家の前で裸になってくれるのは、自分の妻など、画家にとって親しい間柄の女性、あるいはその時代に美人で名の通っているアイドルのような女性という場合があります。それは、その美を、絵画に描くことで、後世までのこしたい、というような動機でのことなのですが、そうではない場合、モデルをやったのは娼婦やそれに類する生業の女性です。

 つまり、この当時の裸婦の絵というのは、かなり特別な女性か、あるいは娼婦の裸を描いた絵なのです。もちろん、娼婦といっても、位の高い娼婦というのもいるのですが。

 動画もなければ、写真もない時代です。当代きっての名人画家が、絶世の美女と名高い女性や、特に有名ではない娼婦なのだけれど、ちょっと出ている下っ腹を引っ込めたり、ちょっと足りない肉付きを補ったりして、美化した女性を、ヌードで描いた画像。それが、国の主催する無料の展覧会でだれでも見られるとあれば、それは見に行ってみたい。こういう絵画はかなり注目のエンターテインメントだったと、想像できます。

『狂えるオルランド』は1500年代にイタリアでつくられた叙事詩。時代考証などはおおざっぱで、ヒロインのひとり、アンジェリカは名前も見た目も西洋人風。後に助けてくれたルッジェーロから魔法の指輪を盗む。アングルの描く彼女は、腰のくびれや足など、美しく描かれている一方、人体の構造としてはかなり不自然に見え、特に右腕で隠れている胸から首にかけての部分は、別々のパーツをつなぎ合わせたかのよう

 となれば、これを読んでくださっている皆様もすでにおもっているかもしれませんが、それってどうなのよ? と疑問視する声はあがるものです。実際、アングルの時代からちょっと後、印象派が登場してくるような頃になると、画家も批判的になっていきます。画家は明らかに娼婦とわかるように裸婦を描いたり、風俗の乱れを示唆するように描いてみたりするようになります。たとえば、アングルとほとんど同時代、ちょっと後輩のクールベやマネは、そんな裸婦の絵をいちはやく描きました。そこから考えるとオダリスク、つまり王様に仕える性の奴隷を描き、岩にくくりつけられ、生贄にされた異国の女性、アンジェリカを描いているアングルも、その際どいテーマ設定から、かならずしも無批判だったわけではない、と見ることもできるかもしれません。

 とはいっても、ボードレールが言うように、アングルの描く裸の女性には、執念のようなものがこもっています。これは有名な話ですが、アングルの『グランド・オダリスク』に描かれている女性は、背骨(椎骨)の数が、2、3個多い、と公開当時に言われました。後の解剖学的な分析によると5つ多いそうです。この『グランド・オダリスク』と同時にサロンに登場した、今回のアンジェリカにしても、乳房の位置や首のあたりが、よくみるとあんまりリアルな感じではありません。さらに、アンジェリカは、やっぱりちょっと発光しすぎているようにおもえます。アングルはリアリティーを捨ててでも、女性の美の表現に執着したと筆者には見えます。

 女性の裸にドキドキしてしまう気持ちと、そんな自分への後ろめたさ。19世紀のフランス人も、サロンで、そんな気持ちを抱きながら、アングルの描くありえない女性に衝撃を受け、見とれていたのではないでしょうか。現代の美人のイメージからすると、ちょっと異質な感じもするかもしれませんが、実物を見れば、アングルが絵画に込めた執念を感じ取れるはず、と筆者は信じています。