文=鈴木文彦

ピーデル・ブリューゲル『死の勝利』
117 cm × 162 cm
制作年/1562年頃  所蔵/プラド美術館 種類/油彩
 ©️DEA/G.DAGLIORTI/gettyimages

滑稽で悪魔的な絵画

 世の中はコロナウイルスの蔓延で大変な事になっています。そんななかではじまった当連載は、アートの読み方、芸術に触れる際のヒント、こんな風にみたらいいんじゃないか、と提案することで、アートを身近に感じてもらいたい、というのが趣旨なのですが、では、どんな話から始めましょうか、と編集部と相談してみたところ、ブリューゲルの『死の勝利』はどうでしょうか、ということでした。そこで今回はブリューゲルの『死の勝利』を扱います。

 世相を反映して、初回から陰鬱な雰囲気なのですが、この、見るべき点がたくさんある絵画から、今回は、アートにあらわれる「死」について、と、滑稽について、簡単にお話したくおもいます。

 まずは大雑把にこの絵の背景をおさらいしてみましょう。描いたのはピーテル・ブリューゲルというオランダの画家です。1525年生まれ、1569年没、とされています。ブリューゲルさんは画家一家で、息子さんも同じ名前の画家なので、お父さんのほうはピーテル・ブリューゲル(父)などとも呼ばれます。息子さんのほうは「地獄のブリューゲル」というあだ名で有名です。あまり知られてはいないのですが、お父さんのほうもあだ名があって、「おかしなブリューゲル」とも呼ばれます。

 

ペストの脅威

 「死の勝利」というタイトルで知られるこの絵画は、1562年ごろに描かれた、とされていて、背景には、1348年から1420年にかけて断続的につづいた、ペストの流行があります。ペストは当時、人口4億5千万人程度だったという人類のうち、1億人近くを死に追いやったとされています。

画面上部右側。ガイコツは死をあらわす。見ればわかることだけれど、斬首に絞首、崖の下に引きずり落とされようとしている男と、さまざまな死の勝利が描かれる。(上画像には写っていないが)左側では、火山が噴火し、船は沈み、絶望的な状態。わかりづらいのは、アンテナのように立っているものだけれど、これは車輪に四肢を繋がれた上で、四肢の骨を砕かれた人間が、その後、晒し者になっている、というもの

 ペストはその後もなんどか流行していて、たとえば、1600年代にヨーロッパで流行しています。ペストは菌による感染症なので、現代であれば抗生物質で克服できるのですが、当時はまともな治療法もなく、過ぎ去るのを待つばかり。検疫、防護服、学生の疎開などといった対応策がとられ、なるほど、そのあたりは現在の状況ともオーバラップします。ちなみに、ヨーロッパにはペスト塔とよばれる記念碑のようなものがあって、これは1600年代のペストの流行が収まったあと、収まったことを神に感謝するものとして、街に建てられたのですが、なにせ、ひどい場合は中国であれば人口の半分、ヨーロッパは3割が死亡したといわれており、イタリア北部などは、ほぼ全滅というところまで被害を受けたといわれていますから、ペストは一度流行りだすと、本当に、社会の存亡の危機だったのです。

 そんなペストの流行を描いた絵として有名なのが、ブリューゲルの「死の勝利」です。

 

直接ペストを描いているわけではない

 ただまず、注目いただきたいのは、ブリューゲルは別にペストの流行を体験したわけではない、ということです。年代が合いませんからね。しかもこの絵は直接的にはペストを描いてはいません。

 芸術家にとって、ながらくイタリアは聖地でした。いまでもそうかもしれません。イタリアには古代ローマから続く伝統があり、キリスト教の中心地でもあり、くわえて、光が美しく、色彩豊かです。ブリューゲルも1550年代にイタリア旅行にでかけた、と考えられていて、そこで、ペストの流行を機に生まれた、死をテーマとしたフレスコ画などにふれ、このテーマをブリューゲル流に表現したものが、この「死の勝利」なのです。イタリア流の場合、この時期はルネッサンスの影響が強いので、人体の解剖学的に正しい表現や正確な空気遠近法が見られるのですが、ブリューゲルの絵画は、だいぶそのあたりがデフォルメされています。流派でいえば、この時期のブリューゲルは初期フランドル派の影響下にあるとされています。

画面の右下には、テーブルがあり、食事、ゲーム、道化師、音楽を楽しむ男女といった快楽の場面に、ガイコツの姿をした死が襲いかかる。テーブルのそばの男のみが、剣を抜いて死と戦おうとしているけれど、画面中央ではすでに死の軍勢を前に生者は総崩れだ。とはいえ、ここはまだ平和な場面

 この絵画で描かれているのは、さまざまな死とその死を前にした人間の反応です。写真のように特定の風景をリアルに切り取った絵画ではなく、時間も場所も違う、いろいろな場面を一枚の絵画につめこんで構成したものです。

 

我々の父は神か悪魔か

 そして、ブリューゲルのこの絵画に限らず、死をテーマとしたこれらの絵画で描かれるものは、病、戦争、飢饉、自然災害。安定した社会であれば、守られる生命、人間の序列、こういったものを無視して襲いかかる死の不条理です。これを「メメント・モリ」と呼んだりもします。ラテン語で「死(モリ)を覚えておけ(メメント)」という意味なのですが、キリスト教的には、この世の快楽は虚しい、というような意味で、19世紀に中世に注目したフランスのロマン派などは、人はいつか死ぬのだから、今を謳歌せよ、という意味に解釈しました。日本的にいえば、人の世の無常を見るのがキリスト教流、「命短し恋せよ乙女」と読むのがロマン派流です。

 そして、死は、笑い、あるいは滑稽と結びつきます。ここでは19世紀ロマン派の詩人、ボードレールの解釈を引用します。人間はなぜ、笑うのか。それは、エデンの園を追放されたからだ、とボードレールは考えます。エデンの園から追放された、というのはつまり、人間は死を与えられた、ということです。アダムとイヴは、不老不死の不死身でした。人は自分が死ぬかもしれない、という恐怖を感じたときにはその恐怖を和らげるため、自分以外の人間が生命の危機にあり、自分が無事なときは、自分は優れている、と感じて、笑います。

 ゆえに、笑いとは悪魔的なものだ、「おかしなブリューゲル」もまた、悪魔的な才能に恵まれていたのだ、と、ボードレールは言うのです。

画面左下には権力者や赤子も差別なく死んでいく様が描かれている。都市は水辺に形成されるため、溺死体は、わりとありふれた死体で、見た目の面白さから人気があった

 ここから、さまざまな死のシーンが描かれているブリューゲルのこの絵画は、滑稽な絵、と解釈することもできます。ちょっと、この解釈がひっかかる人は、たとえば、加トちゃんケンちゃんの「志村っ、うしろ! うしろ!」を思い返してみてください。僕らがあれを笑えるのは、志村がピンチなのに本人はそれに気づいておらず、観客は安全な位置から志村の危険に気づいているから、とはいえないでしょうか。

 神は人を見捨てたのか。あるいはなお、愛しているのか。そもそも人は神の子なのか、悪魔の子なのか。死が描かれた作品には、そしてそれが、キリスト教に近い文化からうまれたものであるほど、楽園から追放され、以来、生存中はずっと出会えない神に対しての、アンビバレントな人間の心情が描かれているのです。