文=今尾直樹 撮影=山下亮一

「F12ベルリネッタ」の後継として、2017年のジュネーブ・ショウでデビューした「812スーパーファスト」。

内房の富津岬まで撮影に!

 夜明け前に六本木に集合して、内房の富津岬まで撮影に行こう! そんな早起きスケジュールも苦にならず、苦になるどころか嬉々として家を出たのは、フェラーリに乗れるからなのだった。かの徳大寺有恒さんはよくこうおっしゃっていた。

「フェラーリなんて、『フェラーリ』って口に出すだけでうれしいんだから」

 フェラーリ! 

「まして街で見かけたら、今日は“いいもの”を見たな、という気分にさせてくれる。そんな自動車はフェラーリ以外にない!」

 まったくもって徳大寺さんのおっしゃる通りだ、と私はいまもそう思う。自動車という年間何千万台もつくられている工業製品のなかで、フェラーリは特別な存在なのだ。

 なぜ特別なのか? それは2020年のお正月映画「フォード vs フェラーリ」でも描かれている。フォードはクルマを売らんがためにレースに挑んだ。フェラーリはレースに勝つためにレースに挑んだ。創業者のエンツォ・フェラーリにとって、ロード・カーの販売はレースの資金をつくるための手段でしかなかった。エンツォはより多く勝てるクルマを望んだけれど、より多くのクルマを売りたいとは、考えていなかった。そんな自動車メーカーはフェラーリしかない。

 創業は1947年。2017年に古希を迎えた、イタリアのスーパーカーの名門である。その古希を迎えたアニバーサリーに発表されたのが、812スーパーファストである。  

 800psのV型12気筒をフロントに搭載したフェラーリGTベルリネッタのフラッグシップにして、最高速340km/h、0-100km/h加速2.9秒という、とんでもなく速いヤツだ。

 

静寂の六本木に、V12の咆哮

 私は夜明け前、六本木のとある高層ビルの地下駐車場で眠っているフェラーリ・ジャパンのプレスカーである812スーパーファストに乗り込んだ。キイは前日受け取っていた。地下駐車場はしんと静まりかえっている。悪いことをしているような気分で812の大きなドアを開け、「エヴァンゲリヲン」みたいなデザインのコクピットに腰をおろす。もっとも、フェラーリは1960年代の後半から、ちょっとSFチックなイタリアン・モダン・デザインを採用していた。こちらが本家である。

 でもって、ステアリングホイールの真ん中の跳ね馬のマークのちょっと左下にある、赤くて丸いボタンを押す。瞬時にガチャガチャッとセルが回る音がして、ガオッとV12が目覚め、静寂を破る。

夜明け前の静寂に包まれた大都会に野獣の咆哮が轟く。

 812スーパーファストはかなりでかい。2人乗りだというのに、全長は4657mm。全幅は1971mmと2m近くもあり、全高は1276mmとグッと低い。家族5人が乗れるトヨタ・カローラよりはるかにでっかいのに、このクルマには2人しか乗れない。なんだか悪いことをしているような気分になるのは、812が社会の常識みたいなものから逸脱した存在だからであるに違いない。

 センター・コンソールにあるDの文字が書かれた丸いボタンを押す。これで、デュアル・クラッチ式7速オートマチックがDレインジに入った。ゆっくり右足に力を込めると、自動的にパーキング・ブレーキが解除され、全幅2m近い巨体が動き始める。おおっ、その動き始めの軽やかなこと! 車検証によると車重は1790kgある。12本もシリンダーがあるエンジンを積んでいるから、どうしたって車重は重くなる。それを12本のシリンダーが生み出すトルクによって、まるで羽毛のように動かすのだ。

フェラーリ史上最強のV12エンジンは、同じく赤い結晶塗装が施されたインテークマニフォールドの下に潜む。

室内は高級サルーンのごとし

 地上に出ると、小雨が降っていた。1カットだけ写真を撮って首都高速に天現寺ICから上がり、首都高環状線を経て、朝ぼらけのレインボーブリッジを渡る。

 フツウに走っているときは、ムオオオオオオオオッという低い唸り声をごく控えめに発するのみで、室内はまるで高級サルーンのごとし。快適至極で、フツウのクルマのように感じる。100km/hは7速トップで2100rpmちょっと。そこからごく軽く右足に力を込めるだけで、812スーパーファストは現代の交通の流れを軽々とリードする。3500rpmで、排気量6496ccの 65°V型12気筒DOHCは718Nmという途方もない最大トルクの80%を紡ぎ出す。718Nmの80%ということは、574Nmである。6リッター近いエンジンに匹敵するトルクだ。

 たとえゆったり走っていたとしても、ドライバーにはわかる。壁1枚向こう側に途方もないパワーとトルクが潜んでいることを。アクセル・ペダルにほんのちょっと力を込めるだけで、その豊穣なトルクが溢れ出す合図を待ち構えていることを。

 ステアリングホイールの中央ちょっと右下に、ドライブ・モードを切り替えるダイヤル、“マネッティーノ”が付いている。モードは、ウェット、スポーツ、レース、さらに電子制御の安全デバイスをカットするモードが2つから構成されている。小雨のなか、ウェット・モードで全開を試みたら、ほんの一瞬、リアがズルッと滑ったかと思ったら、たちどころに修正してそのまま走り続けた。現代のフェラーリは電子制御の塊である。でなければ、800psなんぞというパワーは扱えない。

 

スポーツモードでさらに生き生き

路上では快適な乗り心地と高速安定性を提供する。これぞグラントゥリズモ。

 富津岬での撮影終了後、帰路に着く。雨が止んでドライ路面になってきたので、マネッティーノのダイヤルをスポーツにしてみる。エンジンのサウンドがさらに生き生きとして、全体の動きがシャープになる。料金所が近づいたのでブレーキを踏むと、ブオンブオンッとV12が自動的に吠えながらギアを落とす。

 ゲートを通過してアクセル・ペダルを深々と踏み込むと、12本のシリンダーが歌い始める。アクセルを踏む量と速度によって、その歌声はさながらオペラの楽曲のようにドラマチックに変化する。基本的には男性的なバリトンで、3000rpmから歌声はボリュームを増し、6000rpmを超えると高音が加わる。フェラーリの8気筒もいい音だけれど、12気筒ともなると、いっそう濃密で、音に厚みがある。そりゃそうである。バリトンのオペラ歌手が12人もいるのだ。

 でもって、12人による大合唱が9000rpmまで続く。9000rpm。スピード違反でまずいです。でも、排気量6496cc、ひとり540ccちょっとの肺活量を持つ、バリトンたちによる大合唱が聴きたい。右足をフロアまで踏みつけると、12本のシリンダーが超速でピストン運動し、7速デュアル・クラッチ・トランスミッションが電光石火で3速から4速へとシフトアップ。同時にオクターブがちょっと上がって、もうどうなっちゃってもいいや、と一瞬思う。加速とサウンドのコンビネーションでもって、フェラーリはドライバーをここではない桃源郷へと誘う。

 フェラーリ812スーパーファスト、サイコーだぜ!

ボディ各所のエアダクトにより高速時の空気の流れをコントロールして強力なダウンフォースを発生させる。
未来感覚漂うインテリア。変速はステアリングの根元に設けられたパドルで行うこともできる。
ホイールの内側を目一杯使うブレーキのキャリパーとディスク。タイヤは前275/35ZR20、後ろ315/35ZR20