写真・文=山下英介
アンダーソン&シェパードを知らずして紳士服は語れない
かつて元気いっぱいだったファッション誌やセレクトショップが教えてくれた、「世界の名品」たち。グローバル化の激流によって、世の中のものづくり環境はすっかり味気なく変わってしまったけれど、それでも今もなお、僕たちの魂を震わせる名品やつくり手は存在する! あの頃のロマンを追体験する旅に、いざ。
「アンダーソン&シェパード(以下A&S)」。ちょっとした英国好きや服ヲタにとって、その話題はどんなつまみよりも酒が進むネタかもしれない。フレッド・アステアやゲーリー・クーパーに代表されるハリウッド黄金期のスターたち。トム・フォードやラルフ・ローレン、マノロ・ブラニクといった天才デザイナーたち。そしてウィンザー公からチャールズ王太子へと至る王族たち……。名前をひとつひとつ挙げていくとキリがないので省略するが、とにかく20世紀初頭から現代にいたるまで、世界を代表する洒落者のほとんどを顧客台帳に記した、トップランクのテーラーなのである。
そんな「A&S」の名前を僕が知ったのは約20年前。イラストレーターの綿谷寛画伯がファッション誌に寄せた体験レポート記事を読んだのがきっかけだった。
それによると当時のA&Sは取材や撮影は一切NG。仮縫いは3回。袖口は本切羽ではなく開き見せ(親子で着用することを前提に)。ボタンはホーンではなくプラスチック製(プラのほうが丈夫だから)……といった超硬派ぶり。グレーのシャークスキンを使った完成品のスーツは、まさに画伯が敬愛するフレッド・アステアを彷彿させるエレガントなドレープ感を描いており、その美しさは今でも目に焼き付いている。
サヴィル・ロウ伝説の今を探る!
以来ずっと夢見ていた、「A&S」でのビスポークが実現したのは2018年のこと。ちょっと前から「A&S」はとてもお洒落な既製品ショップ「ハバダッシャリー」をテーラーの近くで経営しており、その取材を通して経営者と仲良くなったことから、注文を決意したのだった。
かつては撮影拒否で鳴らした「A&S」だが、現代はいたって取材フレンドリー。カッターや縫製職人が働くワークルームを気軽に案内してくれ、しかもSNS投稿もOKという神対応ぶり。時代は変わったのだ。
さて、いよいよ注文から採寸となるが、この流れには素敵な「様式美」を感じた。店舗内には生地ストックはあまりなく、こちらが「ヘビーウェイトのグレーフランネル無地」と注文するとマネージャーが生地見本を数点見つくろってすすめてくれる。このやり取りを納得いくまでなんども繰り返して、生地が決められるのだ。
その後の採寸も面白い。なんと「A&S」ではジャケットとパンツのカッターが異なり、採寸や仮縫いも別々に行われるのだ。うまく上下で情報共有がされるか不安になってしまうが、そこをまとめるのが注文を請けるマネージャーというわけ。3人ものスタッフに囲まれてオーダーするのは緊張するが、非常に心は昂ぶる。このやり取りそのものがひとつのエンターテインメントなのである。僕は今、サヴィル・ロウの歴史の一部となったのだ……(感涙)。