旅行者だってつくれる、現代のオーダーシステム
さて、ここからが現代の「A&S」を語る上での重要なポイント。綿谷画伯の時代とは違って、現在の「A&S」は1着目の仮縫いは2回、2着目からは1回だけ。海外のビスポークテーラーは初回オーダーの際は仮縫い3回が基本なので、これには少し驚いた。
トランクショーを含めて、外国人客を効率的に獲得しよう、という意図が透けて見えるが、本当のところはわからない。その代わり価格はほかのサヴィル・ロウのテーラー(5500〜6500ポンドからが相場)よりもだいぶお得な約4000ポンドから。生地による差異は基本的にない。しかもタックスフリーもできるから、正味のところは3200ポンドである。現在の一流どころのテーラーと較べると、かなりお得に思えてしまうし、私のような旅行者にとっては正直ありがたいシステムに感じられたのだった。
完成したスーツ。その魅力、そして欠点
オーダーから約3か月後、完成したスーツがこちら。英国テーラー特有の細身の木製ハンガーに吊されたスーツは、FOX社の素晴らしいグレーフランネルと相まって、これぞサヴィル・ロウという威厳に溢れていた。
襟のカーブといい、オリジナルのパッドや芯地によるやわらかな質感といい、100年の歴史のなかで磨かれてきたその「顔つき」は別格である。綿谷画伯が20年前に仕立てたスーツとは違い、ボタンにはホーンを使っており、袖口は本切羽。縫製に関しては当時よりもグレードアップしているような気がした。
が、しかし! 残念なのはフィット感。ズバリ言ってアームホールがやけにデカく、腕を動かしにくいのだ。パンツは縫製、シルエットともに抜群だったのだが。フレッド・アステアがどんなに激しく踊っても決して乱れることなく、身体にぴったりと寄り添い、しなやかなドレープを描き出すA&Sスーツの伝説は、一体どこへ行ってしまったのだろう? やはり1回の仮縫いでは限界があるのだろうか……?
歴史を纏う、文化を購う
しかしたった1回オーダーしただけの行きずりの客が100年の歴史をもつテーラーを偉そうに語ってよいものだろうか? そんな使命感に駆られて、僕は2着目を「おかわり」することにした。
サヴィル・ロウでは一度ついたカッターは変更できないとのことなので、今回は入念に「アームはもっと小さくね」と釘を刺しておいた。かくして1回の仮縫いを経て仕立て上がったスーツは、完璧ではないがなかなかに改善されていた。3着目にはさらに完璧に近づけるのだろうか? それともこれが限界なのか……?
日本には腕利きのテーラーがたくさんあるし、もっと上手に英国テイストを表現してくれるサヴィル・ロウ帰りのカッターだって知っている。本当はこんな苦労をする必要はないのだ。でも僕は、やはり次回も「A&S」を選んでしまうだろう。その理由はたったひとつ。僕は単なるクオリティではなく、英国で生まれた紳士服の歴史と、そこに根付いた文化こそを購いたいのである。