人間は旅になにを求めるのか? 少なくとも僕にとってのひとつの答えは見つけた。それは非日常感を味わうということ。都会に居ては日常の延長にしかなりえない。しかし、境界線を一歩はみだして大自然の中に踏み込めば、そこには360度、非日常が待っている。
文=櫻井 卓 写真=飯坂 大
息を呑む風景が広がる、神々の遊ぶ庭へ
ある時から、海外旅の目的地に街を設定することを、ほとんどしなくなった。
ある時、とは今から10年前。初めてアメリカのヨセミテ国立公園に足を踏み入れたときのこと。
都会なんてどこも一緒だ。というのは言い過ぎかも知れないけど、人間が作り出した、人が生活するための装置であるから、どうしたって画一感がある。旅先の街でやることも、食べる、買う、など、美術やカルチャーにあまり興味のない僕にとっては、東京でやっても大して変わりばえしないものばかり。インターネットによって世界が近くなった今ではなおさらだ。
都会への旅を否定する気は毛頭ないけれど、そんな考えに囚われるほど、ヨセミテのインパクトは強烈だった。「神々の遊ぶ庭」という別称に偽りはなく、途方もない巨岩や巨木が屹立し、まるで巨人の国に迷い込んだよう。あまりにも風景が圧倒的なので、眺めているだけで十分に楽しいし、インスピレーションも得られる。ヨセミテで“なにもしない”という旅のオプションを発見してしまったのだ。
それ以降、アラスカのデナリ、アリゾナのグランドキャニオン、北カリフォルニアのレッドウッド、ユタのアーチーズ、テキサスのビッグベンドなど、さまざまな国立公園を巡ってきたけど、オススメは? と聞かれたら、まっさきに名前を出すのは変わらずヨセミテだ。
なぜなら、ヨセミテは便利なのだ。大自然なのに便利というとちょっと矛盾を感じるかもしれないけど、その理由はアメリカという国の、自然に対する接し方にある。自然保護の観点が日本とはだいぶ違っていて、「自然の中に入って、楽しむことでその大切さを学ぶ」という考え方が基本。だから誰でも楽しめるような工夫が随所にある。
特別感とウエルカム感の共存
41号線を使って南から入るルートを選ぶと、最初に出迎えてくれるのがトンネルビュー。ヨセミテバレーの中心地が見渡せる絶好のロケーションで、まずはここで度肝を抜かれる。その後どんどん渓谷の中に下りていくのだけど、パッと開けたところで世界一大きな花崗岩の一枚岩がその白く輝く姿を見せる。クライマーたちの憧れでもあるエル・キャピタンだ。さらに奧に進めば、ザ・ノース・フェイスのロゴにもなっている、有名なハーフドーム。夏場の早い時期であれば、アメリカでもっとも大きな落差を誇る、ヨセミテ・フォールズが白い飛沫となって谷底に注ぎ込むのを目にできるはずだ。まさに地球の神秘が詰まったような場所だけど、ここに至るまでに冒険は不要。これらすべて、クルマに乗ったまま見ることができるのだ。
ヨセミテの中心地であるヨセミテビレッジは、バリアフリー化も進んでいて、車椅子の人もチラホラ見かけるし、お年寄りから小さな子供まで、人種性別年齢問わず、さまざまな人が楽しんでいる。しかも、ここには大きなスーパーもあるし、フードコートもある。宿泊場所の選択肢も多くて、キャンプ場から貸しコテージ、さらには、かつてスティーブ・ジョブズが結婚式の場として選び、オバマ前大統領などもプライベートで訪れるアワニー・ホテルという豪華なホテルもある。大自然と至れり尽くせり感が良いバランスで共存している。なんだったら永住したくなるような居心地の良さだ。
もちろん、アウトドア好きであれば、ハイキングコースもたくさんあるし、ホーストレッキングやラフティングなどのアクティビティも用意されている。
急ぐな休め、がベターな過ごし方
ただ、個人的にはあまりバタバタと動き回るのではなく、ひとつお気に入りの場所を見つけるのが良いと思う。そこで地ビールの6パックでも買って、ノンビリと過ごすのだ。少なくとも場所探しに困ることはないはずだ。絶好のまったりスポットはそこかしこにある。以前、ヨセミテのレンジャーにインタビューしたときに、次のような質問をした。
「1日オフがあったら、なにをしますか?」
その女性レンジャーは、ちょっと迷ってからこう答えた。
「ヨセミテ・フォールズの上まで歩くと、お気に入りの場所があるの。そこでハンモックでお昼寝をしたいかな」
旅に出ると、人間はなにか特別なことを追い求めて、つい必要以上に動き回ってしまう。その結果訪れるのは、充実感よりも疲労感が勝るという悲しい事実。ヨセミテの自然は、そんな小さなバタバタが無意味に思えるほど雄大だ。肩の力を抜いて“なにもしないをする”、くまのプーさん的な楽しみ方が、ここヨセミテには似合うのじゃないのかな、と生来の怠け者である僕は思うのだ。