文=櫻井 卓 写真=飯坂 大

エベレストを肴にビールをグビリ

 標高約3300メートル。バックパックを担ぎ、歩きで上を目指す僕らの頭上を、一機のヘリコプターが飛んでいった。雑誌の仕事で、エベレスト街道をベースキャンプまで行く。その途中のことだった。

「きっとホテル エベレストビューに行くヘリでしょう」

 同行していたヒマラヤ経験豊富なカメラマンが教えてくれた。

標高3440mにあるナムチェバザール。ヒマラヤの山々に囲まれた場所

 「ホテル エベレストビュー」は話には聞いていた。世界でもっともエベレストに近い場所に建てられたホテルで、客室は全部で12。そのすべてがオーシャンビューならぬ、エベレストビューなのだ。しかも歩きで行くほかに、空路で向かう方法もある。カトマンズから標高3800mのシャンボチェまで飛び、初日は高度順応のため、標高3440mのナムチェで1泊。翌日に標高3880mのホテルまでトレッキングで向かうというプランだ。

 なぜ、わざわざ1度標高を下げるの? と思った人もいるかもしれない。これは高山病対策。特に呼吸が浅くなる睡眠時には高山病のリスクが高まるので、1度ナムチェまで下がって、そこで寝ておくことで高山病にかかりにくくする。

 このホテルの創設者は日本人で、「多くの人にこの素晴らしい景色を見せてあげたい」という熱い思いでこのホテルを建てた。日本人ならではのきめ細かいサービスが受けられる他、なんと食事はカツ丼が出たりするという。エベレストを眺めながら、ビールだって飲めちゃうらしい。

 撮影経費が限りなく少なく、ポーター(荷物を運んでくれる人)すら雇えず、安宿(個人的にはこっちが好きだけど)をさらに値切りながら旅を続ける僕らからしてみたら、それこそ天上の世界。

 ちょっと冷やかしてみたいぞと思った。

ナムチェバザールには、日常生活に必要なものは基本的になんでもある。薬局や病院まであるのだ

世界の頂(いただき)は左にある

 標高3440mのナムチェバザールはちょっとした町だ。古くからこのエリアの交易場所であったため、その名の通り休日には市が立つ。エベレスト街道を歩くために多くのハイカーが訪れるので、それを狙ったお土産屋さんも多いし、ベーカリー、コーヒーショップ、バー、なんとATMまである。

 ナムチェでひとしきりお店を冷やかしたあと「ホテル エベレストビュー」に向かう。約3時間の道のりだ。

これがエベレストにもっとも近いホテル。いつかは泊まってみたい……

 ホテルからの眺望は予想以上だった。右からタムセルク(6623m)、アマ・ダブラム(6812m)、世界第4位の高さを誇るローツェ(8516m)、そしてその左に世界の頂エベレスト(8848m)が……いるはずなんだけど、そこだけ雲にかかっている。

 「雲、もうちょっと左にズレてくれないかな」と、山に居るとよくそんなことを思ってしまう。この日もそうだ。

 そうそうたるメンツが顔を揃えているのに、エベレストだけは雲の中から一向に出てこようとしない。

 その名もずばりの”エベレストビール”をチビチビ飲みながら、けっこう粘ったけど、この日、エベレストはついに姿を見せなかった。

ホテル前のテラスカフェはビジターでも利用可能。右からアマ・ダブラム、ローツェときて、その左にはエベレストがいるはずなんだけど、雲の中

 エベレスト街道は、またゆっくり訪れたい場所だ。だから今回見られなかったのは「また来なさいよ」ということなのかもしれない。次行くときはあの天空のホテルで、日がな一日、エベレストを眺めて過ごすのも良いな、と値切りに値切った安宿でお茶をすすりながら、そんなことを思った。

ホテルの近辺にはこんな景色が広がる。ホテルを拠点に日帰りハイキングは最高の体験になるはずだ

 とはいえ、それじゃあここまで読んでくれた方に怒られそうなので、最後に1枚。この時同行してくれた写真家が、以前撮影したエベレストの雄姿をどうぞ。

標高5545mのカラパタールから見たエベレスト。左奧の黒いピラミッドがエベレストで、右はヌプツェ(7855m)