名古屋城をしのぐ愛知県の巨大な城・岡崎城、徳川のイメージがあれどやはり豊臣系の近世城郭?広大な惣構の謎 岡崎城 撮影/西股 総生(以下同) (画像1/8) 写真1:岡崎城内に立つ徳川家康像 (画像2/8) 写真2:岡崎城中心部に残る石垣。写真左側が本丸で、石垣は江戸時代のもの (画像3/8) 写真3:天守台には田中期の石垣が残る。写真2の石垣にくらべて石の加工度が低く、サイズも不揃いで算木積も未発達である様子が見てとれる (画像4/8) 写真4:持仏堂曲輪の石垣。崩落が進んでいるのは曲線プランに強引に石を積んだためかも (画像5/8) 写真5:菅生曲輪に復興された隅櫓。写真右手の堀底道を折れた先に虎口があった (画像6/8) 写真6:惣構東側の塁壕跡は緑道となっており、徳川諸将の像が立っている (画像7/8) 写真7:岡崎城復興天守。全体形は古写真の天守に似せているが、カラーリングや高欄・廻縁などが違っている。正直、古写真の方がカッコよかった (画像8/8) 名古屋城をしのぐ愛知県の巨大な城・岡崎城、徳川のイメージがあれどやはり豊臣系の近世城郭?広大な惣構の謎 この写真の記事を読む