東京近郊の「問題な城跡」を歩く 1 2 3 4 最新 どう見ても戦国時代に「城」として築かれた「菅谷館」が、畠山重忠の「館」と言われるのか? 東京近郊の「問題な城跡」を歩く(3)菅谷館か菅谷城か(後編) 2024.6.29(土) 西股 総生 フォロー フォロー中 生活・趣味 歴史 Tweet この写真の記事へ戻る 菅谷城主郭の土橋 撮影/西股 総生(以下同) 菅谷城の主郭。ここに本当に畠山重忠が住んでいたのだろうか? 菅谷城主郭の空堀と土塁。本当に重忠時代のプランを踏襲しているのだろうか? 菅谷城主郭の空堀と土塁。複雑に屈曲して「横矢掛り」を形成している 菅谷城主郭の虎口と土橋 菅谷城三ノ曲輪の巨大な土塁と堀。立っている幟をよく見ると「菅谷館」と「菅谷城」とが混在している