
「Beyond Creation ― 永澤陽一の創造と革新」と題した展覧会が神戸ファッション美術館で開催されています。
永澤陽一さんはTOKIO KUMAGAIのパリのアトリエでアシスタントを経験した後、自身のブランド「YOICHI NAGASAWA」を立ち上げ東京コレクションに参加。1997年から10年間パリコレクションで発表していました。同時に「無印良品」のプロデューサーとして数々のヒット商品を打ち出し、現在はイオンのプライベートブランド『セルフサービス』をはじめ様々なブランドディレクションを続け、国際ファッション専門職大学教授、学部長として後進の育成に力を注いでいます。展覧会初日、国際ファッション専門職大学学長の近藤誠一氏とのシンポジウムの後、永澤陽一さんにインタビューしました。
永澤陽一はどのようにしてパリでの仕事をスタートしたのか?
Q: パリのTOKIO KUMAGAIで仕事をしていたことが、後の永澤さんのデザイナー人生に大きな影響を与えたと聞きました。どういう経緯でなられたのですか?
A: どうしてもデザイナーになりたくて、モード学園を卒業してファッションの歴史があるパリを見たくて渡仏したんです。その時代、パリと言えば高田賢三さん。アトリエに入りたくてポートフォリオ(自身の作品集)を持参してアトリエ兼ブティックのあったプラスドヴィクトワールに行ったんです。その隣にあったのTOKIO KUMAGAIのブティック。入ってみたら猫の靴など見たことのない作品があって、思わずTOKIOさんに会ってもらいました。
Q: 当時ファッションを学んだ学生たちがポートフォリオを持ってアトリエを訪ねるのは日常茶飯事でしたね。すぐに採用されたのですか?
A: いいえ、テストされました。分厚い植物図鑑を渡されアクセサリーを作ってくるように言われ、1週間後葉っぱのピアスを作って持って行ったら気に入られたんです。それから12年間TOKIO KUMAGAIのアトリエで仕事をし、クリエーションの「自由な発想」を鍛えられました。
Q: 東京に戻って自身のブランド「YOICHI NAGASAWA」を立ち上げ東京コレクションに参加後、1997年発表の場をパリに移した理由はどうしてですか?
A:パリで仕事をしていた時、やはりパリには世界中からジャーナリスト、バイヤーが集まりプロの評価を受けられる。そこに挑戦したかったんです。幸い、TOKIOにいたことで現地の人たちにスムーズに受け入れてもらいました。
Q:パリで発表した作品は馬のカタチをした服や人毛を使ったりと、かなりアヴァンギャルドでしたね?
2008年に発表したジョッパーズパンツ<恐れと狂気> 騎手が履くジョッパーズパンツを馬が履くというアプローチ。ポニーやシマウマの革と尾を使用し、人間と動物の身体を融合した
2006年に発表した人口髪を「結う」「編む」手法で作られたドレス
A: パリコレでは、人間に着せることを前提としない服。着ることができなくても『気持ちが揺らぐ服』を発表してゆきたかった。違和感のあるものが時代を作ってゆくと信じていましたから。その代わり東京では「NO CONCEPT BUT GOOD SENSE」というリアルクローズのブランドを立ち上げたんです。
Q: その「違和感」が「造形の革新」につながっているのですね。
A: シュールリアリズムやオプアートの巨匠ヴィクトル・ヴァザルリが提示した「動的な錯覚」や「違和感」に強く影響を受けてきました。その感覚を服の造形に取り入れることで視覚芸術の可能性を衣服に宿し、装いを「動く造形芸術」として表現したかったんです。

マテリアルイリュージョン<窪んだツィード>は転写プリントにより伝統柄をゆがませ、視覚的錯覚を生んだ。「織物とは何か」「柄とは何か」の問いかけで衣服を視覚芸術へ転換した実験作品
Q: パリコレクションを10年で辞めたのはなぜですか?
A: 当時ファストファッションが次々に登場し、ファッションデザイナーの存在が変わっていった。そこで自分ができる次のステージに進もうと思ったのです。
Q: 現在、大学教授としてクリエーションを教えていらっしゃいます。デザイナーを目指す学生たちに伝えたいことは何ですか?
A:『手で考えなさい』と言っています。クリエーション自体は教えられるものではない。自分で気づくことです。そのために手で考えることが大切だと思っています。
1994年 東京「住環境と第三の自然展」で発表した<人工芝MA-1 フライトジャケット>自然を壊した人工芝と軍用装備のMA-1 ブルゾンを掛け合わせた
「クリエーションとは手で考えること」
YOICHI NAGASAWAのパリコレクションはずっと見ていましたが、当時は今と違って若いデザイナーが日本から行ってコレクションを続けることはより困難でした。
パリコレを10年続けて潔く辞めた永澤さんと話していると、時代を見極めるセンスとか勘とかビジネスに長けているとか、さまざまな側面を感じます。でも見えないところでは面識のない大手社長に自ら手紙を書いて仕事をスタートするなど努力も続けていました。今回の展覧会では神戸美術館に寄贈したアーカイブ2000点の中から選ばれた作品が並びます。素材の加工など斬新で繊細な日本の技術も見どころです。
「Beyond Creation ― 永澤陽一の創造と革新」は神戸ファッション美術館にて2025年11月9日(日)まで開催中
1957年東京に生まれる。
1980年学校法人モード学園卒技業後、渡仏。
「TOKIO KUMAGAI」でチーフデザイナーとなる。
1992年帰国後「YOICHI NAGASAWA」を立ち上げる
1997年パリコレクションに参加
「無印良品」プロデューサー
イオン「セルフサービス」ディレクター
金沢大学教授
国際ファッション専門職大学、学部長
