取材・文=吉田さらさ 写真=フォトライブラリー
富士登山吉田口の登山道の起点
コロナ禍に振り回されてかれこれ3年、今年も師走がやってきた。世の中も自分自身に関してもさまざまなことが停滞してしまったが、来年こそ再始動しなくては。今回ご紹介する神社は富士山周辺に数あるパワースポットの中でも最強と言われ、新たな年の開運を願う方にお勧めだ。
まずは、この神社の名称からお話を始めよう。「北口、本宮、富士、浅間神社」と、ずいぶん長いが、それぞれの単語に意味がある。
浅間神社とは富士山信仰の神社のことで、富士山麓には「○○浅間神社」と呼ばれる神社がいくつもある。そのうち静岡県富士宮市にある冨士山本宮浅間大社が全国に1300社ある浅間神社の総本宮で、富士山の山頂にあるお社はこちらの奥宮だ。
一方今回ご紹介する北口本宮富士浅間神社は山梨県富士吉田市にあり、富士登山吉田口の登山道の起点となっている。つまりこの神社は北側から富士山に登る人々にとっての「本宮」であり、山梨側における富士山信仰の中心地ということになる。
富士山信仰とは
では、その富士山信仰とはどのようなものなのだろう。現代のわたしたちが見ても神々しくありがたい存在である富士山は、古代より信仰の対象とされてきた。平安時代には活発な噴火活動もあり、それを鎮めるために浅間神社が祀られた。その後、山に登ること自体を修行とする修験道が盛んになり、江戸時代には「冨士講」が流行した。
「講」とは、地域ごとや同業者によって組織された何らかの共同体でお金を積み立て、代表者が順番に団体を組んで遠方の霊場や神社仏閣にお参りに行くことである。御嶽講、戸隠講などさまざまな講があったが、とりわけ冨士山にお参りする富士講は多くの人にとっての憧れだった。講を束ねて世話をし、道案内もしたのが「御師」と呼ばれる人々で、宿も提供していた。そうした宿を宿坊といい、この神社の周辺にも数多く並んでいたという。
昔の人々がこれほど富士山を崇め、一度は登りたいと願ったのは、やはり富士山が持つ大きなパワーに引き付けられていたからだろう。富士山の裾野に鎮座するこの神社の参道を歩いていると、今もそのパワーが降り注いでいるのをひしひしと感じる。
整然と並ぶ杉並木の間に「角行の立行石」がある。1610年、冨士講の開祖である角行東覚が、この石の上で、30日間裸身で爪立ちをする荒行をしたと伝わる。続いて富士山大鳥居。これは文字通り富士山をご神体に見立てた鳥居で、神社の社殿が建つ以前からあったという。木造の鳥居としては日本最大級の立派なもので、60年を式年として、修理あるいは建て替えが行われている。
その先の随神門をくぐると、国重要文化財に指定されたきらびやかな建物が並んでいる。この神社は江戸時代までは荒廃していたが、冨士講の人々の再興により、このように立派な建物が建てられたのだ。
とりわけ1745年建立の手水舎は、富士山の溶岩から掘り出された巨大な水盤石や、軒下の木鼻に施された龍や獅子などの彫刻がみごとである。太郎杉と夫婦檜という樹齢千年を超えるご神木にも一礼しておきたい。その先に拝殿、その奥に本殿がある。
祭神は木花開耶姫、彦火瓊瓊杵命、大山祇神の三柱。木花開耶姫は美女のほまれ高く、一般的に富士山の神と言えば、この女神を指す。彦火瓊瓊杵命は天照大神の孫神で、木花開耶姫の夫。大山祇神は木花開耶姫の父神である。この三人を巡る神話が、よく知られている天孫降臨の物語だ。