木花開耶姫の伝説
高千穂の峰に下った彦火瓊瓊杵命が美しい木花開耶姫を見染め、嫁にもらいたいと乞うと、父親の大山祇神は姉娘の石長比売も一緒に差し出した。しかし、彦火瓊瓊杵命は、容姿がいまひとつだった石長比売を送り返した。すると大山祇神は「木花開耶姫は咲いてすぐ散る花、石長比売は岩のような永遠の命を象徴している。石長比売を返したことにより、地上の者たちの命は永遠ではなくなったのだ」と述べた。
つまり、わたしたち人間が必ず死ぬのは、彦火瓊瓊杵命が面食いだったためだ。さらに彦火瓊瓊杵命は、結婚してすぐに身ごもった木花開耶姫の貞節をも疑う。「懐妊が早すぎる。それは自分の子ではないのでは?」すると木花開耶姫は身の潔白を証明するために、燃え盛る産屋の中で三柱の御子を出産してみせた。この神話から感じ取れるのは「やはり女性は強い」ということだ。そのように美しく、強い意思を持った木花開耶姫だからこそ、のちに、富士山の女神としても崇められるようになったのだろう。
北口本宮の発祥の地
もう一か所、必ずお参りしておきたい場所がある。それは、北西の位置にある諏訪神社だ。祭神は長野県の諏訪大社と同じく建御名方神とその妻八坂刀売神。この二柱がもともとこの地の地主神で、拝殿には例大祭で浅間大神と諏訪大神が同座する「明神みこし」と「御影みこし」が安置されている。8月26~27日に行われる「吉田の火祭り」は、もとの氏神である諏訪神社の例祭で、浅間神社の三柱と諏訪神社の二柱の乗る「明神みこし」と「御影みこし」の神輿が渡御する。
さらに境内を奥へと行くと、富士山登山道吉田口にあたる鳥居がある。そこから境内を出て200mほど坂道を登ったところに大塚丘と呼ばれる丘があり、そこに大塚丘社という小さな祠がある。実はここが北口本宮の発祥の地だ。
社伝によれば、日本武尊が東征のおりに相模の国から甲斐の国に入り、大塚丘に登り富士山を遥拝した。のちに里人がその場所に社殿を建てて浅間大神を祀り、日本武尊を合祀した。平安時代になって、丘の北方に浅間大神を遷座し、社殿が建てられた。それが今の北口本宮富士浅間神社である。
このように長い歴史を持ち、これだけたくさんの神々が祀られたこの神社が、日本有数のパワースポットとして人気なのもうなずける。これからは冠雪した富士山がとりわけ美しく見える時期でもあるので、初詣や山中湖、川口湖の観光もセットで、ぜひお出かけいただきたい。