取材・文=吉田さらさ
開運のパワースポットに
日本各地のお勧め神社を巡るこの連載だが、これまでの人生でもっとも数多くお参りした神社をまだ紹介していなかった。それは故郷の岐阜市にある伊奈波神社である。
わたしは岐阜市の生まれではないが、ものごころついたころから高校を卒業するまで、この神社の徒歩圏内で育った。したがって、正確には産土神(生まれた土地の守護神)とは言えないのだが、ほとんど産土神的な存在だと思っている。
近隣の住人は、この神社を、そこに祀られた神もひとまとめにして「伊奈波さん」と呼び、初詣や七五三、合格祈願など、ことあるごとにお参りに出かけたものだ。地方都市にひとつはある、住民のお願いごとの受け皿としての頼れる神社である。
しかし、近年この神社はそれだけには留まらず、開運のパワースポットとして全国的に知られるようになった。何だか同級生が急にスターになったような気分である。何年か前、帰省した際に改めてお参りしてみて、自分はこの神社の本当の価値に気づいていなかったと深く反省した。もともとこの神社は、由緒もすごいし、鎮座する場所の歴史的背景も実に奥深いのだ。
「稲葉山」から「岐阜」へ
まずは由緒の話から始めよう。主祭神は五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)。 第11代垂仁天皇の皇子で、第12代景行天皇の兄である。ちなみにこの景行天皇の子が、かの日本武尊だ。伊奈波神社の社伝によれば、五十瓊敷入彦命は朝廷の命により奥州を平定したが、謀反の濡れ衣を着せられ、この地で討たれたという。
奥州から「金石」という不思議な神石を運んできたという記述もある。この「金石」は一夜にして「金山」という山になり、五十瓊敷入彦命は、討たれる際に、その山中に隠れていた。五十瓊敷入彦命が亡くなった翌年(景行14年)に、忠臣だった竹内宿禰が、金山の山中に五十瓊敷入彦命を祀る。それが伊奈波神社の始まりとされる。金山は後に「稲葉山」と呼ばれるようになった。
時は流れて戦国時代。天文8年に、美濃のマムシこと斎藤道三が稲葉山山頂の城を本拠地とするにあたり、山中にあった伊奈波神社を、稲葉山の麓の現在地に遷座した。その後、織田信長が稲葉山城を奪取した。大河ドラマでよく見かける信長が美濃から出陣するシーンの舞台はここである。
信長はこの地を岐阜と改名し、稲葉山城も岐阜城と名を変えた。また、稲葉山はさらに「金華山」と名を変え、現在は山頂にある岐阜城の模擬天守閣とともに、市のランドマークとなっている。金華山麓には信長の公居跡などもあり、鵜飼で知られる清流長良川にもほど近い風光明媚なところだ。博物館もいくつかあるので、戦国武将ファンだけでなく、一般観光客の方もぜひ訪れていただきたい。