取材・文=吉田さらさ
東国最古級の古社
教科書で学ぶ古代史は関西や九州を中心に書かれていることが多いため、関東の歴史はそれに比べればずっと新しく、関西に匹敵するような歴史の古い神社は関東にはないと考えがちだ。しかし、茨城県鹿嶋市に鎮座するこの神社は、初代神武天皇の元年に創建されたと伝わる東国では最古級の古社で、奈良時代初期に編纂された「常陸国風土記」にもこの神社の存在が記されている。
この地域は、古代には、東北遠征の拠点として重要な場所だったとのことだ。祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)。古事記や日本書紀の有名な章「国譲りの神話」において、大きな手柄を立てた神である。天照大神(あまてらすおおかみ)の命を受けて出雲の国に下り、そのころ出雲を治めていた大国主命(おおくにぬしのみこと)に国を譲るようにと強く迫ると、大国主命は二人の息子に聞いてくれと答えた。長男の事代主神は賛同したが、次男の建御名方神(たけみなかたのかみ)は抵抗し、「相撲による力比べで決めよう」と提案。 建御名方神はその勝負に負けて長野県の諏訪に逃げ込み、国譲りは成し遂げられた。
武将たちから武神として信仰される
鹿島神宮は、このような逸話を持つ武甕槌大神を祀る場所だけに、広大な境内を持つ立派な神社である。まずは大鳥居をくぐる。もとは御影石でできていたのだが、東日本大震災で倒壊し、境内から切り出した杉の木で再建された。大震災の際、周辺地域の被害は比較的小さく、こちらの鳥居が身代わりになって引き受けてくれたと言う人もいる。この神社には地震を鎮めると言われるパワースポットもあるが、その話はまたのちほど。
続いて楼門くぐると、巨樹が茂る森に中に、重要文化財指定の社殿が点在している。本殿・石の間・幣殿・拝殿の4棟からなる本殿は、1619年、徳川2代将軍の秀忠の寄進によって建てられた。その向かいにある仮殿は、この社殿を新たに造営する際、いったん神様をお遷しするために使われたものである。それまであった本殿は、もともとは徳川家康が、関ケ原の戦いに勝利したお礼として建てたものだった。