武甕槌大神は前述のように勇ましい神であるため、武将たちからも武神として信仰されたのだ。家康が建てた旧本殿は、境内の奥に遷されて、現在は奥宮となっている。

鹿島神宮 奥宮

 奥宮というものは、通常は山の上などにあって登るのが大変なことが多いが、こちらは平地にあるのが特徴だ。ちなみに、この神社は現在、令和8年に予定される式年大祭御船祭に向けての「令和の大改修」のさなかで、わたしが訪れた時は、たまたま奥宮の茅葺屋根の葺き替え中。足場に登って作業の様子を見学させていただくという幸運に恵まれた。引き続き、他の建物も改修されるので、今後もこうした機会があるかも知れない。

 

奈良公園の鹿の祖先

 奥宮に向かう奥参道の中ほどあたりに、この神社のもうひとつの大きな見どころである鹿苑がある。「国譲りの神話」において武甕槌大神に天照大神の命を伝えに来たのは、鹿の神である天迦久神(あめのかくのかみ)だった。そのためこの神社では、現在も、鹿が神様として大切にされている。

 国譲りから時は流れて奈良時代、平城京に春日大社が造営される際に、功績があった武甕槌大神が招かれた。武甕槌大神は鹿島から鹿に乗って奈良の御蓋山に降り立った。その時の鹿が、現在、奈良公園で暮らしている鹿たちの祖先とされる。文化や歴史は何でも関西が先で、関東はその後追いと考えがちだが、実はそればかりではないことが、この例を見てもよくわかる。

 鹿は神様だが餌も売られており、お供えとして購入し、食べていただくことも可能。ご挨拶を終えたら、先に述べた地震にまつわるパワースポットを探しに行こう。

 奥宮で右に折れると、ナマズに乗った神様を彫った石碑があるが、これは単なるモニュメントで、本物はもっと奥。巨石の一部らしきものが地上に数十センチほど露出し、周囲が結界となっている。

鹿島神宮 要石

 これは要石と呼ばれ、この石によって地震が鎮められると言われている。石などの自然物を信仰の対象とするのは神社ではよくあることだが、このように、土中の石をご神体として崇める形は珍しい。あちこちでやや大きな地震が相次ぐ昨今、もしも鹿島神宮に行く機会があれば、ぜひここでお参りしていただきたい。

 奥宮に戻り、さらに奥に進むと、1日に40リットルもの水が湧き出すという御手洗池がある。

鹿島神宮 御手洗池

 昔はお参り前に、大勢の人がここで禊をしたという。透明な水をたたえた池の周囲には神聖な空気が漂っており、眺めているだけで心癒される。ほとりには茶屋もあるので、ここでしばしの休憩を取るとよい。