取材・文=吉田さらさ
奈良時代に山岳信仰の霊場として開かれる
はじめて日光に観光に出かけるなら、誰もがまず東照宮を拝観するだろう。その手前にある輪王寺に立ち寄ることもあるだろうが、二荒山神社に関しては、「あれ、そんな神社があったかな?」と言う人が案外多い。しかし、日光という地名の語源は「二荒」の別の読み方「にこう」に由来するという説もあるほど、この神社は重要な存在なのである。
世界遺産「日光の寺社」の範囲は、『「二社一寺」(二荒山神社、東照宮、輪王寺)及びこれらの建造物群を取り巻く遺跡』とされている。この二社一寺の中でも東照宮は1817年に創建されたもっとも新しいもので、二荒山神社と輪王寺は、それよりはるか昔の奈良時代に山岳信仰の霊場として開かれた寺社だ。
江戸時代に徳川家の篤い庇護を受けるようになり、きらびやかな建造物が次々に建てられた。その一部が徳川家康の霊廟として建立された東照宮なのである。
しかし、江戸時代までの三つの寺社は一体となった神仏混淆の信仰の場であり、二社一寺として明確に区別されるようになったのは明治以降のことだ。そうした経緯のため、現在、二荒山神社には三柱の親子の神が祀られ、輪王寺には、それぞれの神の本地仏とされる千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音が祀られている。
二荒山神社の三柱の神について、もう少し詳しく見てみよう。主祭神は大己貴命(大国主神の別名)、その妻の田心姫命、子の味耜高彦根命。そして実は、それぞれが、男体山、女峯山、太郎山の日光三山でもある。
つまり、もともとこの神社は霊峰として古くから信仰の対象であった山を祀っており、御神域は、上記の三山をはじめとする日光連山、御神橋、華厳の滝、いろは坂なども含む3400ヘクタール。二荒山神社の存在を知らずに日光を訪れたとしても、ほとんどの人が、その境内に足を踏み入れているということだ。
この広い境内の中、神様は三つのお社に鎮座されている。一つ目は御本社。いわゆる日光山内、すなわち東照宮や輪王寺があるエリア内なので、ここからお参りを始めよう。神門をくぐると、まず立派な拝殿があり、その奥に重要文化財の本殿がある。