文=大谷達也

モデル名に“ビジョン”はコンセプトカー

 今年1月、メルセデスベンツはビジョンEQXXを発表しました。

 メルセデスのモデル名に“ビジョン”のひと言が添えられている場合は、これがコンセプトカーであることを示しています。ビジョンEQXXも今後2、3年で発売される次世代EVの姿を提案したものですが、驚くべきはその性能にあります。ビジョンEQXXは、EVでもっとも重視される性能といっても過言ではない航続距離が1000kmを越えるそうです。ちなみに、現時点で航続距離がもっとも長いメルセデスのEVはEQS(日本未発売)で、1回の充電で780kmも走れますが、ヨーロッパでの価格はおよそ1400万円と高価です。ビジョンEQXXはこれを上回る航続距離を達成しているものの、メルセデスベンツで技術開発担当役員を務めるマーカス・シェーファーは、その価格を「2、3年後に私たちが販売する通常のコンパクトカーと同等」に抑えると言明しています。

 なぜ、このような不思議なことが起きるのでしょうか?

 そもそもビジョンEQXXは、メルセデスのコンパクトEVに採用される技術を発表するために開発されたコンセプトカーです。その価格を“通常のコンパクトカー”(この場合はエンジン車もしくはハイブリッドカーを指しているはずです)と同等にするというのはかなり野心的な計画ですが、それでも、こうした価格設定を実現しない限り、EVの本格的な普及もあり得ないとメルセデスは考えているようです。

 EVの価格を左右するのはバッテリーの容量です。一般的にEV全体のコストの2割程度を占めるバッテリーは、EVのなかではもっとも高価な部品とされます。ただし、バッテリーは従来のエンジン車でいえば燃料タンクに相当する役割を果たすため、航続距離を伸ばすにはバッテリー容量を増やすことが必要不可欠です。事実、ビジョンEQXXはEQSに迫る100kWh程度のバッテリーを積むといいます。さらに、エンジン車の燃費に相当する電費を徹底的に追究することで、1000kmを越す航続距離を実現した模様です。これにくわえてバッテリーの低コスト化にも取り組んでいることでしょう。

こだわった長い航続距離

 それにしても、メルセデスはなぜ長い航続距離にこだわったのでしょうか? 前出のシェーファー取締役は、その理由を次のように説明しました。

「EV用の充電ネットワークが現在のガソリンスタンドと同じくらい充実するまでには、長い歳月を要するはずです。それまでの間、顧客に高い利便性を提供するにはEVの航続距離を伸ばすことが重要になります。私たちは今後、長い航続距離のEVを市場に送り出すことで、他社製品との差別化を図っていくつもりです」

 昨年7月、EU議会が「2035年で実質的にエンジン車の販売を禁止する法案」を提出して話題を呼びました。ヨーロッパが、そこまでしてEVの販売促進に努め、地球温暖化問題に取り組もうとしているのは、ある意味で立派といえますが、消費者の利便性をおざなりにしたまま性急なEV普及を進めれば、多くの反発が生じることでしょう。メルセデスがビジョンEQXXで実現しようとしたのは、これとは正反対で、消費者が思わず買いたくなるような製品を投入することでEVの普及を促進するものです。私も、こういった形でEVなどのゼロエミッションカーが普及することが望ましいと考えています。

 ところで、EVは世界各国でどのくらい普及しているのでしょうか?

 世界でもっともEVの普及が進んでいるのはおそらく北欧のノルウェーで、昨年は販売された新車の実に65%がEVだったそうです。水力発電が全発電量の95%を占めるノルウェーは、再生可能エネルギーの開発が盛んであると同時に電力を国外に販売するエネルギー輸出国でもあり、このため国策としてEVの普及に取り組んでいるという背景があります。

 

世界最大の市場は中国

 いっぽうで国際的な大市場に目を向けると、世界でもっともEVが売れているのは中国で、昨年は290万台あまりを販売。実に、全乗用車に占める販売比率は11%に達しています。これに次ぐのがヨーロッパのおよそ90万台で、シェアは9%ほど。アメリカでも昨年は50万台近いEVが売れ、全乗用車の3.2%を占めました。

 では、日本ではどうかというと、昨年1年間で販売されたEVは2万1139台(自販連調べ)で、全乗用車販売に占めるシェアは0.9%に過ぎません。ちなみに、これでも一昨年の1万4604台から6535台も増えているのですが、実は同じ時期に輸入EVの販売台数は2812台から8605台へと5793台も増加しました。言い換えれば、昨年の販売増は、そのほとんどすべてが輸入EVによるものだったことになります。

 その理由は、どこにあったのでしょうか? これはあくまでも私の推測ですが、個性豊かな輸入EVが顧客の購買意欲をそそったからと捉えています。おそらく「EVだから買う」という時代はすでに終わり、「自分が欲しいと思うEVを買う」消費形態にシフトしているのでしょう。その意味で、消費者の利便性に着目したメルセデスのEV戦略は実に興味深いものといえます。