「もう一度あの舞台へ」
第一人者であることを示すのは、競技成績ばかりではない。選考会を終えて北京五輪代表が発表された後、高木は語った。
「日本代表選手に選ばれた気持ちとしては、身の引きしまる思いだと感じています。今回いろいろな環境がある中で選考会を開催していただけたこと、その中で昔からずっと一緒にやってきた選手を含め、いろいろな人が滑っているのを見届けた上で、『私もさらに頑張ろう』と、いろいろな感情をこの大会で感じたので、その思いを抱えて走っていけるように、強くなっていきたいです」
コロナの影響下、危ぶまれる中で開催にこぎつけた努力をはじめ、広く見渡せていることは、第一人者たる自覚と責任感にほかならない。
バンクーバー五輪に中学3年生で出場して以来、ただ順調に歩んできたわけではない。バンクーバーに続く2014年のソチ五輪は代表落選の憂き目にあった。
だがそのまま沈むことはなかった。一度はオリンピックという舞台を経験していたから、「もう一度あの舞台へ」と具体的に目指す場所を思い描き、再起を期した。
軌を一にして、ナショナルチームのコーチとして、スピードスケート強豪国オランダから招かれたヨハン・デビッドコーチの指導が高木の変革の後押しをした。デビッドコーチが日本の選手たちに求めたのは、勝負への強い意識と、徹底した体力トレーニング。どこか勝負へのこだわりが薄かった高木はコーチのもと、意識が変化していき、またトレーニングで身体を強化していった。
その成果が、平昌五輪でのメダル3つであり、近年の好成績である。
オールラウンダーである分、種目は増える。北京五輪についても、5種目で選ばれたことに、疲労の面から懸念する向きもある。
でも高木にはオールラウンダーである理由がある。
「多くの種目にトライするのが速くなる道だと感じています。純粋に全部速くなりたいという思いもあります」
そして抱負をこう語る。
「自分がこの上なく力を出し切れば必ず結果がついてくるというくらいの4年間を過ごしてきたと思っています。強い気持ちで挑みたいと思います」
確固たる自信を抱ける日々を過ごしてきた世界屈指のオールラウンダーの、3度目の大舞台が始まろうとしている。