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文=松原孝臣

2022年1月1日、2021-22スノーボードW杯カルガリー大会、女子スロープスタイル決勝での鬼塚雅 写真=AP/アフロ

天候に苦しんだ平昌五輪

 スノーボードで平昌五輪のリベンジを期すべく、北京に臨む選手がいる。ビッグエア、スロープスタイルの鬼塚雅だ。

 ビッグエアでは、昨シーズンの世界選手権で男女を通じ日本選手初の表彰台となる銅メダルを獲得。スロープスタイルでは2015年の世界選手権で金メダル、2017年の同選手権で銅メダルを獲得。今シーズンのワールドカップでも、元旦に行なわれた大会で2位となっている。

2015年1月21日、スノーボード世界選手権スロープスタイル女子、鬼塚が史上最年少優勝 写真=AP/アフロ

 現在は23歳。だが年齢から想起させる以上のキャリアを思わせる。実際、2015年の優勝時は高校1年生で16歳だった。第一線にいる期間の長さがそこからも知ることができる。

 その世界選手権優勝を機に、鬼塚は知られることになった。スノーボードの世界選手権では史上最年少優勝であり、スノーボードの全種目を通じて日本女子では初めて、男女を合わせても2人目の優勝でもあったからだ。

 スロープスタイルに加え、ビッグエアでも実績を残し、両種目で平昌五輪代表に選出される。メダル候補の1人として注目を集める中、迎えた試合は思ってもいなかった展開で推移した。

 この大会の雪上競技が行なわれたエリアは、強風にさらされた。そのため、鬼塚の最初の種目スロープスタイルは2月11日に予選、12日に決勝を開催する予定だったが11日の予選が中止に。12日の決勝を全員滑って順位が決まる方式となり、本来なら決勝は1人3回滑るところが2回に変更された。

 その決勝も悪天候のためスタートを1時間以上遅らせて開始。目まぐるしく風の方向もかわり、雪煙で視界も不良の中、鬼塚は用意していた技も出せず、19位に終わった。

2018年2月12日、平昌五輪スノーボードスロープスタイル女子決勝での鬼塚 写真=アフロ

「自然も関係している競技なので仕方ないです」

 涙を浮かべて鬼塚は語った。ただ、鬼塚のとき、不利になる向かい風にさらされた不運もあった。

 続くビッグエアは、1回目をきれいに決め、2回目と3回目に上位進出を目指し大技の「バックサイドダブルコーク1080」に挑む。2度とも着地に失敗、最終的に8位で終えた。

「自信がないまま、(大技を)やったことがだめだったと思います」

 試合を振り返ったあと、「すごく悔しい大会でした」と口にした。

 そのときは「4年後を目指すか、まだ決めていません」と語った鬼塚だが、そのままでは終わらなかった。