画期的な新しいシェービング用カミソリ
紙カミソリをご存知だろうか?
今年4月に貝印からテスト的に限定発売された、文字通り“紙製”のシェービング用カミソリである。つまり髭を剃る刃以外のパーツが紙でできているのだ。この画期的なカミソリは、新しいこと、使いやすいこと、そして、SDGsの観点からも注目され、あっという間に完売したという。
貝印は、カミソリに代表される刃物を中心に、調理用品、化粧道具、衛生用品を製造、販売しているメーカー。アイテムが多岐に渡っているために、一言では表現し難い会社だが、「貝印」と聞くだけで、“あぁ!”と納得する人も多いのではないだろうか。
使い捨てカミソリの分野でトップを走る貝印が、このタイミングでまったく新しい、ましてや髭剃りに欠かせない“水”に弱いとされる紙を使った新商品にあえて挑むとは。その経緯について、5月に代表取締役社長に就任したばかりの遠藤浩彰さんに話を聞いた。
「紙カミソリの話が最初に出たのは2018年、創業110周年のときでした。私が副社長に就任した年でもあります。弊社は5年に1度のタイミングで社員を海外旅行に連れて行くというのが恒例になっていまして、この年はハワイでした。そこで中期経営方針を発表したのですが、その時、社員からカミソリでイノベーションというか、新しい価値を作り出していくプロジェクトを立ち上げてみたい、という声が上がったのです」
このハワイ旅行に参加した社員は約800人という。その中から社員の声をすくうというのは相当風通しのいい会社であることがうかがえる。しかし、その提案には、最初から紙カミソリ案があったのだろうか。
ゼロから作り上げる発想が必要
「まずは、いまあるカミソリをどう変えるか、という話でした。このまま進めていくと、現在の商品の延長線上になるので、コンセプト、ニーズなど、根本的なことから議論をはじめようということになりました」
まったく新しいものを作り出すためには、ゼロから作り上げる発想が必要だったのだ。
「男性用のカミソリであれば、大体2週間に1回刃を替えていただくというのが、通常のサイクルなのです。それを覆すもの。新鮮な剃り味を保ち、日々快適に使っていただくということを考えていきたい、という意見から、もうワンデイの方に振り切ってみてはどうか、という案が出てきたのです」
使い捨てる場合、プラスチックをハンドルに使用している現行商品と同じ素材では、当然問題になる。まずは素材選定が大きな課題となった。それで、出てきたのが地球環境に配慮した紙だった。紙でできたカミソリ。ここでSDGsに合流できるコンセプトにはじめてなったのだった。
この時点、つまり2019年当時は、まだSDGs自体が社会的にそれほど認知されていなかった。ただ、貝印では、遠藤社長が経営戦略本部の本部長として中期経営方針を検討していた17年の段階で、SDGsのエッセンスを入れていくための社内教育を検討していたという。SDGsに繋がる発想は、急に出てきたのではなく、貝印という会社の環境だからこそ発案された、ということがよくわかるエピソードだ。
ただ、素材の紙についてはかなり苦戦したようだ。
「カミソリを使う場所は、洗面所が主で、常に水と一緒にあります。当然、耐水性というのが一番の課題になります。普通の紙では1回も持たないので、いろんな紙をテストしました。紙で商品の本体を作り上げるノウハウがまったくなかったからです」
意図せず世の中の動きとあった
試行錯誤を重ね、ようやく出来上がった商品は、発売前にまず卸の方や小売店さんへの商談会を催し、お披露目した。
「そこでSDGsに関連したコンセプトとして展示し、大きな反響をいただきました。また、その後、『切る』というテーマで発表会を開催し展示したのですが、こちらも好評で、商品化を望む声を数多くいただきました」
それで自信を深め、満を持して、今年4月に発売したのである。
「もうその時点で、SDGsの認知度もかなり上がってましたし、しかも、小泉環境大臣がプラスチックのスプーンなどを有料化するという発表をしたタイミングだったのです。それで一気に問い合わせが殺到するようになりました。我々としても意図せず世の中の動きとあったという感じでした」
ユニークで環境にもいいこの商品は、先に述べたように完売し、もう在庫がない状態。難しい技術を必要とするし、現時点では量産体制が整っていないので、しばらくはお目にかかれないかもしれない。
ただ、貝印には既存の素晴らしいシェービング用カミソリはあるし、ハサミなども含めてグルーミング用品が横断的にあり、身だしなみを整える道具が揃っているので、紙カミソリ以外の商品でも十分満足できるだろう。そのなかでもお薦めを聞くと、やはりカミソリの話が出てきた。
「現在のシェービング用カミソリは、5枚刃のT字のものが主流になってます。しかし、一枚のダブルエッジのカミソリというのがまた見直されているのです。優雅なシェービングタイムを楽しむ、という人も出てきてます。家に滞在する時間が増えた今日、家でのシェービングの時間もそうですし、指を手入れしたり、体を手入れするセルフケアというところでの道具は、いま一度見直されていいと思っています」
もう一つの柱、食の道具
また、貝印には「さわやかな あじわいのある日々を お客さまとともに・・・KAIのねがい」という企業メッセージがあるという。「さわやかさ」はグルーミング、ビューティケアのこと。そして「あじわい」がキッチン周りなど食に関連するところ。刃物というものをコアにしながら、それに関連する商品を展開する貝印には、“食”の道具という、もうひとつの柱がある。
「とくに包丁は主力商品のひとつです。日本では『関孫六』というブランドが比較的認知もしていただいてますし、大きなシェアもとっています。海外においては2000年から『旬』というブランドを展開しています。こちらは一丁、1万円、2万円するような高価格帯のものからスタートしました」
旬の発売当時はアメリカを中心に和食ブームがあった。和食は健康にいいということで、アメリカ人が飛びついたのだ。さらにはハリウッド映画『ラストサムライ』が公開され、ヒット。日本ものがカッコいいとも言われはじめた時期でもあった。
「それまではドイツのゾーリンゲンなどで製造される無骨な包丁が主流だったのですが、素材の繊細さを楽しむ和食には、やはり繊細な切れ味の日本の包丁が最適だろう、と」
そして、その『旬』には切れ味だけでない、日本らしい工夫が施されていた。
「『旬 shun classic』というシリーズがあるんですが、そこにはダマスカス模様という刃体の表面に波打つ模様が広がってまして、日本刀を彷彿させるイメージがあります。それもあってかアメリカでブームが起きまして、『旬 shun classic』の人気は一気に世界へ広がっていきました。20年強経った今日、おかげさまで、その高価格の包丁が世界で累計900万丁というところまできています。近いうちに1000万丁に達するのではないか、という状況になっているのです」
家で包丁を使う機会が増えた
もちろん、国内向けの『関孫六』も好調をキープしているという。
「以前から売上は伸びていたのですが、昨年からコロナによる巣篭もり需要もあり、さらに売り上げを伸ばしています。お客様の購入方法も変わってきており、オンラインのご利用が増えました。また、家で包丁を使う機会が増えたので、メンテナンスする道具、砥石なども含めて伸びているというのが、現状ですね」
このように包丁の売れ行きが好調というのもあるようだが、今後は“モノ”だけではなく“コト”にも力を入れていきたい、と遠藤社長はいう。
「いま料理教室のネットワークを全国に1000教室くらい持っていまして、商品の改良などについてのお声をいただく、ということをやっています。その料理教室の繋がりの中で、食に関する新規事業を考えてます。モノだけでなく、サービスも含めて、ということです。それが今後の成長の鍵を握っていると考えています」
また、刃物、つまりモノについても、外科メス、眼科用のメス、皮膚科用のメス、病理検査用の刃物といった医療用のメスが、これからの注力事業のひとつになるということだ。
貝印の「さわやかな あじわいのある日々を お客さまとともに・・・KAIのねがい」というメッセージには、我々の日常生活に欠かせないモノ、コトが詰まっているということだろう。SDGsも含めて、一歩先を見据えた取り組みがとても印象的だった。