──それは世の中の移り変わり、みたいな?

森本 というより、親父が紳士靴や婦人靴みたいな細かい作業の靴はやりたくなかったのよ(笑)。登山靴って荒っぽいから。

──やっぱりドレスシューズとは全く違う技術なんですか?

森本 基本的には同じだけれど、紳士靴が一寸に十何針縫うところ、登山靴は1、2、3、4……せいぜい6針程度でしょ? 針の太さも全然違うんだよ。

──その分体力を使うということですかね。

森本 腕力は多少使うよね。あと、材料も全然違います。私が習い始めた頃は鉄製の鋲を打っていたし。

──そういう材料や機械は浅草とかで買うんですかね?

森本 登山靴は特殊だから全然集まらない。イタリアだったらひとつの村で全部まかなえるけれど、日本は大変ですよ。革やゴムはイタリア、フックはオーストリア、これはドイツ……といった具合に世界中から集めなくちゃいけないから。

──なるほど、それで登山靴づくりがメインになって、1973年にお父様の名前を掲げた「ゴロー」をオープンしたんですね。

店舗での採寸の模様。靴づくりを手がける職人が交代で店舗に立ち、接客を手がけるのが、「ゴロー」の流儀だ

森本 一足いくらの工賃でやったり、卸をするだけじゃ先が見えてると思って、30 歳のときにここを開いたの。もうすぐ50周年です。当時は私と親父、弟、ミシンをかける職人、その弟子という5人でやってました。

──それからずっとお店はここだけですか?

森本 そう。友達のスポーツ店の親父に「この業界はおできと同じで、大きくなると潰れちゃうんだよ」って言われたけれど、確かにそうなんだよね。大きくしたところはみんな潰れていった。

植村直己さん、三浦雄一郎さん、南極観測隊など、極地に挑む冒険家たちに愛された「ゴロー」の靴。写真は南極点へバイクで到達した冒険家、風間深志さんだ

──でもこの小さなお店に植村直己さんをはじめとする、すごい登山家のみなさんが通うようになったわけですね。

森本 錚々たる連中がね。ヒマラヤのジャヌー北壁に挑んだ山岳同志会の親玉、小西政継もよくこの店に来ていたんですよ。

──そういう人たちの注文を取るのは、ちょっと緊張しますよね。

森本 緊張するってのは楽しいよね。もちろん何人も死んでるから、楽しい反面心配もします。今はあまりそういうこともないけどね……。

 

ゴローの革は世界最高!?

冬山に挑戦できるハードな登山靴から、チロリアンシューズや『ゴロッパ』のようなカジュアルシューズまで、様々なモデルを手がけている「ゴロー」。登山靴はフルオーダーが可能だ。森本さんは実際に登山を趣味とし、その経験を生かしてプロフェッショナルたちの要望に応えてきた

──登山靴づくりといえば昔からヨーロッパが本場と言われていますが、最初は真似たりしていたんですか?

森本 もちろんそのままに真似るわけじゃないけれど、いいところは技術を盗んで。だけど今は真似しようがないというか、ガラッと変わって、みんな貼り付け靴(セメント製法)になっちゃったからね。まあ、あれはあれで特殊な機械や技術を必要とするんだけれど。

──それは大量生産による弊害ということですか?

森本 やっぱりあれだけ数をつくったら、革を集めるだけでも大変なんだよ。うちなんて年間2000足程度の工房だけれど、それでも大変なんだから。うちだって世界最高の革メーカーから仕入れているんだけれど、それでも私が思っている革はなかなかできない。上がってくるたんびに違うんだから。

耐久性、防水性、保温性、通気性など、登山靴に求められる多くの役割を、徹底した工夫によって叶えてきた「ゴロー」。写真の登山靴はアメリカから輸入したシームグリップというボンドを使うことで、高い防水性を実現している

──やはり革次第で靴のできは変わってきますか?

森本 もう全然違います。防水だけじゃなくて革の味ね。それがパリパリになったりヘナヘナになったり、安定しないと困るでしょ。こないだもスイスの革屋が倒産して、代わりの革を探しにヨーロッパに行ってきたよ。今はいい革を集めるのも大変な時代だよね。

──日本の革は難しいですか?

森本 だって日本の悪い癖で、革屋はもうからないことに手を出さないでしょ? うち程度の会社のために革をつくってくれるメーカーなんてないですよ。でもドイツやイタリアのメーカーなら、年間何百足分でもつくってくれるところがある。日本じゃ難しいかもね。

 

「ゴロー」の靴はなぜ安いのか?

本駒込のショップには、作業台や引き出し付きの椅子など、創業時から使われていた道具がいくつも残されている。当時は手縫いだけで靴をつくっていたので、大きなスペースも必要なく、こちらが工房も兼ねていたという

──それは意外ですね。確かに、僕の『ゴロッパ』の革もドイツ製と伺いましたが、すごくいい革ですよね。でもこういう材料を使っていながら、2万円〜4万円台で買えてしまうというのが、ちょっと驚きなのですが。

森本 それを言われちゃうと本当に弱いんだよ(笑)。みんなに言われるけれど、経営者が足りなかったんだろうな。商売の勉強をしてたらこんなに安くしてないし、そもそもこの仕事をやってないよね。

──卸はしないんですか?

森本 できないんだよ(笑)。だって7掛けで卸したら、うち一銭も儲からないもん。卸すなら上代で卸したいけれど、ファッションの店で10万円で、うちで4万円ってわけにはいかないでしょ?

──なるほど、確かにそうですね(笑)。でも、もっと高くても買うというお金持ちもきっとたくさんいますよ。

森本 はっきり言って、登山家ってみんな貧乏なんだよ。冒険しながら自分の名前を売って、海外遠征だって寄付やスポンサーを集めて行くんだから。そんなお客さんに高く売るなんてできないよね。世の中には7万円の懐石料理もあるらしいけれど、うちの登山靴が2足買えちゃうな(笑)。

──今は靴づくりは東十条の工房をされているとのことですが、昔はこのお店が工房も兼ねていたんですか?

森本 そうです。手縫いだったからね。

──この木製の道具はなんですか?

森本さんが父から受け継いだという、革をなじませるための道具

森本 これを置いて、革を「ポンポン」というトンカチみたいな道具で叩くことで、なじませるんです。

──今でも工房では使っているんですか?

森本 いや、私が子供の頃に使っていた道具だな。もともと親父が大事にしていたんだけれど、私が図画工作のノコギリで傷つけちゃったんだよ。でも親父には怒られなかった。イタズラじゃなくて作業のなかでやったことだからって。これは相当な優れものでさ、曲がっちゃった釘を直せるように、親父が改造したんだ。今はそんなことしないよ。工場に行ったら釘なんて山のように捨ててあるからね。

道具を愛おしむように使う森本さん。子供の頃に傷つけてしまった痕も、今ではよい思い出だ

──とても美しいです。道具を大事にしていたんですね。

森本 当時は革も釘もすべて貴重品でしたからね。よくつくったよな、俺も……。そうだ、もしも時間があったらこれから工場に行ってみますか? 私もヒマだし(笑)。

──え、いいんですか? ではお言葉に甘えて!

 

後編に続く