東京・本駒込にある登山靴店「ゴロー」。植村直己をはじめとする錚々たる登山家たちは、なぜここの靴に全幅の信頼を置いたのか?
文・写真=山下英介 撮影協力/ライカカメラジャパン
本駒込「ゴロー」との出合い
2020年から続くステイホームの日々で、運動不足になっている方も多いと思うが、筆者の場合はその逆。時間的な余裕を生かして、街中をあてもなく散歩することが日課になった。そんなときにきまって履くのが、まさしく散歩の途中で見つけた、本駒込の老舗登山靴店「ゴロー」の靴だ。といってもインドア派の筆者が愛用しているのはいわゆる本格派の登山靴ではなく、『ゴロッパ』という名のカジュアル靴である。
ごく低めのヒールカウンターがついているものの、その形状はまるでスリッパ。ぽってりしたフォルムと相まって、気軽に足を入れられるのだが、実際に歩いてみるとあら不思議。足がスポスポと抜けることもないし、地面をしっかりととらえ、足を自然に前へ前へと進ませてくれる。ソールにはビブラム社のガムライトソールを使っており、クッション性も高いのだが、スニーカーとはまた違って、インソールが履くほどに沈み込み、徐々に足になじんでくる。本格登山靴店である「ゴロー」的にはスリッパ扱いだが、筆者にとってはご近所履きとは一線を画す、かなり本格的なウォーキングシューズなのである。
しかも、定価の2万円にたった3000円をプラスするだけで、サイズオーダーすることも可能。それも左右の足をしっかりと採寸してそれぞれに適切なサイズでつくってくれるから、足にばっちりフィットする一足が手に入るのだ。アッパーの革も上質で、カジュアルウエアとの相性もいいから、気がついたら2020年春の注文以来、ほぼこればかりを履いている。
今までヨーロッパ製の本格紳士靴ばかりを履いていた筆者にとっては、これはちょっとしたカルチャーショックだった。ドレスシューズとはジャンルが違うとはいえ、こんなに上質な靴が、どうしてこの価格で手に入るのだろう? そしてどんな環境でつくられているのだろう? そんな疑問をもって、店主の森本勇夫さんにインタビューを申し込んだ。しかしそこで飛び出したのは、驚きのニュースだった。
工房を守るために引退した
森本勇夫さん(以下森本) 今日のインタビューはインターネット? 私、全然ついていけないのよ(笑)。そもそも去年、職人辞めちゃってるからさ。
──え、どういうことですか?
森本 っていうかコロナでさ。うちはコロナ前は8人でやってたんだけれど、今は8人分の仕事は来ないわけ。だから年寄りはとりあえず辞めようと。
──コロナ禍が終わったら、また復帰すればいいじゃないですか。
森本 職人は仕事してないと腕が落ちちゃうから。コロナが終わったからはい、戻りましょうといっても、そう簡単にはできないんですよ。ほら見て。手のタコがツルツルになってるでしょ? もう79になるし、そんなにめちゃくちゃな気力もないですから。それができたら池江璃花子ちゃんよりすごいよ(笑)。
──海外のお客さんが来られなくなったのが大きいんですかね?
森本 いや、人気といっても月に7、8人程度だったから、それでお手上げということはないです。でも世界中からお客さんが来るなんて、職人冥利に尽きるじゃない。前は『エスプリ・ジャポン』なんていう フランスで放映されるTV番組に取り上げられたりしていましたけれど、今は来られないからね。まあ、私がいなくてもなんとかやってますよ。
──今働かれている職人さんは若い方が多いんですか?
森本 40から50歳くらいかな。それでも靴の職人さんにしては若いんですけど。うちに出入りする材料屋さんとかはびっくりしますよ。ほかはみんな60歳、70歳の世界だから。
少年靴職人が登山靴店を開くまで
──聞くところによると、森本さんはお父様も靴職人だったとか。
森本 そうです。器用で腕のいい職人でした。取り仕事といって、1足いくらで仕事を請けていて、私は牛込にある押入れをくり抜いたような自宅兼工房で、小学校高学年の頃から靴づくりを仕込まれましたね。中学の頃にはもう半人前よ(笑)。高校は夜学に行ったけれど、昼間に仕事するもんだからどんどん腕が上がっちゃって、1年の1学期で辞めちゃった。勉強が嫌いだから靴屋になったようなもんだよね(笑)。
──小学生から修行ですか! イタリアの老職人からはよく聞く話ですが、それって1950年代の日本でも当たり前の光景だったんですか?
森本 さすがにそんなのないよ(笑)。やっぱり家でものづくりしている子供たちは手伝わされていたけれどね。
──昔から登山靴をつくっていたんですか?
森本 ゴルフ、スケート、野球、登山靴、スキー……。もともと親父はなんでもつくっていたけれど、私が18、9になった頃にはほとんど登山靴とスキーになっていましたよ。