文=青野賢一 イラストレーション=ソリマチアキラ
毎年、このくらいの時期になるとクリスマス・アルバムのリリースが盛んになるのだが、2020年の目玉はなんといってもチリー・ゴンザレスの『A very chilly christmas』ではないだろうか。すっかり代名詞となった「solo piano」シリーズの延長線上にある、ピアノ・ソロを基調としたサウンド・アプローチで「Silent Night」「Silver Bells」「Jingle Bells」などの定番曲から、ワム!「Last Christmas」、マライア・キャリー「All I Want For Christmas Is You」といったポピュラーミュージックまでを取り上げている作品である。これだけなら凡百のクリスマス・アルバムとなんら変わりないのだが、本作のユニークなところは、これらの楽曲が「短調」すなわちマイナー・キーで演奏されている点にある。このアプローチは、ゴンザレス自身の言葉を借りれば「クリスマスは僕にとって熱烈な感情が交錯する時間だ。表面的な幸福に浮かれる時期ではあるけれど、自分を振り返り、一年に起こった悲しいできごとを悼む時間でもある。クリスマス・ソングを短調で奏でることは、クリスマスをより切実で現実に即したものに変えるんだ」ということになる。実は、マイナー調クリスマスは、ゴンザレスが以前から取り組んでいるもので、その現時点での総決算が『A very chilly christmas』ともいえそうである。
カナダから新天地・ベルリンへ
チリー・ゴンザレスはカナダ・ケベック出身の音楽家。本名をジェイソン・チャールズ・ベックという。3歳から祖父にピアノを習い、モントリオールの大学でピアノを専攻しつつ、ラウンジ・ピアニストとして活動を開始。1990年代にはオルタナティブ・ロックバンド「Son」のリーダーを務めていたが、1999年、新天地を求めてベルリンへと渡った。ちなみに、ファイスト、モッキー、ピーチズといった音楽家とはカナダ時代から交流があり、ゴンザレスが拠点をベルリンに移して以降も活動をともにしていた、いわば盟友である。
2000年にゴンザレス名義でファースト・ソロアルバム『Gonzales Uber Alles』を発表、同年には2作目『The Entertainist』もリリース。『Presidential Suite』(2002年)、『Z』(2003年)という2枚のアルバムを挟んで、2004年に世界的ヒットとなるピアノ・ソロ作『solo piano』を送り出した。
初期作品でも聴かれる『solo piano』的アプローチ
ソロ活動をスタートしてからしばらくのゴンザレスの作品は、当時勢いのあったエレクトロの影響も感じさせるラップ曲が多かったが、『Gonzales Uber Alles』や『Presidential Suite』、『Z』に収録されている「Chilly in~」(~の部分にはF minorやD minorなどが入る)という小品は、のちの『solo piano』に連なるもので、改めて聴くと実に興味深い楽曲である。
私事で恐縮だが、『solo piano』はリリースされてすぐ入手して聴いた。いつの間にかうたた寝してしまって、夢か現か判然としない状態でどこかから漏れ聴こえてくるピアノの旋律──そんな印象を持ったが、それは今も変わらない。親密さと、決して手の届かないある種の崇高さ、そしてどこか物悲しさもある懐かしさ、すなわち郷愁を含んだ音楽である。この作品は、ゴンザレスがジェーン・バーキンの『Rendez-vous』(2004年)のプロデュースを担当していた時に、スタジオにあったピアノを弾いていたのを、プロデューサーのルノー・ルタンがたまたま聴いていて制作に至ったもの。ベルリンのアンダーグラウンド・シーンから多分に影響を受けたそれまでのゴンザレスの作品とはガラリと変わった内容だったが、先に述べたように世界的なヒット作となり、2012年に『solo pianoⅡ』、2018年には『solo pianoⅢ』と続編がリリースされている。
クラシック色を強めていった2010年代
『solo piano』から『solo pianoⅡ』リリースまでの間には、昨今のAORやディスコ人気を先取りしたような『Soft Power』(2008年)、クラブミュージックの要素もある『Ivory Tower』(2010年)、そしてオーケストラをバックにラップをぶちかました『The Unspeakable Chilly Gonzales』(2011年)を発表。『solo pianoⅡ』に続いては、室内楽カルテットと共演した『Chambers』(2015年)をリリースしているが、『The Unspeakable Chilly Gonzales』からはクラシック音楽の色合いを持った作品が続いている。このことは、ゴンザレスが2012年から毎日楽譜=クラシックと向き合い、ピアノ練習を改めて始めたということとも無関係ではなさそうだ。
チリー・ゴンザレスとファッション
さて、そろそろファッションについて話題を移すと、初期のミュージックビデオやライブ映像では、ゴンザレスはピンクのスーツやラッパー風のトラックスーツなどを着ているのだが、これが風貌や体格とも相まって実に「濃い」。それが『solo piano』の頃になると落ち着いた出で立ち──ライトグレーのカーディガンに淡いブルーのシャツ、ダークトーンのスラックスといったシックなスタイル──へと変化してゆく。そして、ここ数年のステージではガウン(バスローブ)がトレードマークとなっている。
2018年に公開された『黙ってピアノを弾いてくれ』(フィリップ・ジェディック監督)は、チリー・ゴンザレスという一人の音楽家──本名のジェイソン・チャールズ・ベックではなく──の世界を、本人はもちろんファイストやピーチズ、ジャーヴィス・コッカーらへのインタビューや、ライブ映像、DVD『From Major To Minor』(2006年)などからの引用、そして様々な人が演じるチリー・ゴンザレスを作中に配することで、重層的に描き出したドキュメンタリーである。前述のファッションの変遷もこの映画から見て取ることができるので、興味を持たれた方は2019年に発売されたDVDもしくはBlu-rayを入手してみてはいかがだろうか。ついでながら、私はこの映画の劇場パンフレットにエッセイを寄せていて、そのテキストはソフトのブックレットにも掲載されていることを申し添えておこう。
真の姿は音楽の中にある
露悪的ともとられかねない態度や言動、ビザールなムードの佇まいといったイメージも強いチリー・ゴンザレス。しかし、それに騙されてはいけない。彼の本質は真摯かつ繊細な音楽アプローチと、そこから生み出される作品なのであって、ルックスや発言はある意味隠れ蓑や仮面のようなものだ。シリアスなだけでは伝わらない、そこにユーモアやちょっとしたいたずら心が必要だということを、ゴンザレスは実によく理解しているのだと思う。
これまでゴンザレスの音楽に触れることのなかった方には、本稿の冒頭で取り上げた『A very chilly christmas』をおすすめしておきたい。新型コロナウイルスの影響という人類にとっての「悲しいできごと」で覆われた2020年。そんな年のクリスマスに聴くべきは、本作をおいてほかにないだろう。