波多野一族の本拠地とされる波多野城、城らしい痕跡は確認できない「幻の城」が根付いた理由 波多野氏は秦野盆地の北側を中心に開発を進めていったようだ。画面右手の大きな建物が直売所で、その背後の丘が東田原中丸遺跡 (画像6/7) (画像7/7) 波多野城 写真/西股 総生(以下同) (画像1/7) 東農協前のバス停から少し歩くと城址への表示がある。写真左手の台地が波多野城址だ (画像2/7) 城地の西側には金目川が流れており、天然の水堀を為しているようだが…… (画像3/7) 城地は現在、畠になっているので勝手に立ち入らないように。背後に大山が見える (画像4/7) 城地東側の谷は巨大な空堀のように見えるが、実際は金目川の旧流路である (画像5/7) 波多野氏は秦野盆地の北側を中心に開発を進めていったようだ。画面右手の大きな建物が直売所で、その背後の丘が東田原中丸遺跡 (画像6/7) (画像7/7) 波多野城 写真/西股 総生(以下同) (画像1/7) 東農協前のバス停から少し歩くと城址への表示がある。写真左手の台地が波多野城址だ (画像2/7) 波多野一族の本拠地とされる波多野城、城らしい痕跡は確認できない「幻の城」が根付いた理由 この写真の記事を読む