横須賀基地に残る幕臣・小栗忠順の巨大な功績、なのに最期は悲劇的な死が 小栗上野介の肖像画(村上照賢画・東善寺所蔵)(Unknown author, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で) (画像1/8) 明治17年に作られた「造船所手引草」。横須賀造船所の沿革や各種機械、三浦半島の名所などが掲載されていた(横須賀・ティボディエ邸で配布されたもの) (画像2/8) 「造船所手引草」の中身 (画像3/8) 1867年、造成中の第1号ドライドック (画像4/8) 横須賀基地の海軍司令部の建物の中に掲げられた小栗とヴェルニーの写真(筆者撮影) (画像5/8) 完成から151年目を迎える今も、現役で稼働している第1号ドライドック(筆者撮影) (画像6/8) こちらは第1号ドライドックの閘門(こうもん)(筆者撮影) (画像7/8) 『開成をつくった男、佐野鼎』(柳原三佳著、講談社) (画像8/8) 横須賀基地に残る幕臣・小栗忠順の巨大な功績、なのに最期は悲劇的な死が この写真の記事を読む