単なる怖い鬼ではなく、少し他者と違うもの
「鬼というものが単なる怖い鬼ではなくて、身体的に、精神的に、少し他者と違うものであると、今、世界でもあるようなマイノリティの問題に転換したときに、私たちの身近な問題として歩み寄ってきて。お客さんと共有するべき内容だなと思って、演目の選定に至りました」
「私自身、心の葛藤、社会の中で抑圧されてきたものがすごくあって、私自身がトランスジェンダーとして生きてきて、普通の人が生きてきたら性別とかセクシャリティのことというのは10代、20代に自然とパスしてくる問題ですけれど、そこが生きていく上での課題というか考えざるを得ない自分の足枷みたいなもので。でも周りの社会とか他人からすると全く浮上してくる問題ではないので、理解してもらえないことが多かったんですね。自分を理解してほしいと思ったとき、違う視点で考えてくれたらとか、違う相手の立場になって、感じてくれたらすごく相手の苦しみとか痛みがわかるんじゃないかな、という多分願いのようなものがずっとあって、私の中で生まれてきたのがこの桃太郎です」
物語を編んだうえで、それが豊かな世界となって提示されるのは、ストーリーを伝える演出にある。
上演時間は1時間45分ほど。その時間に比して台詞の量は必ずしも多くない。20曲を使用し、ダンスを交えていることによる。
「なるべくお客さんに想像を委ねることが好きで、全部言葉で説明してしまう、全部抽象的なダンス表現で伝える、そのどちらとも違う表現方法がほしいなと思っている中で、厳選された言葉と必然性の伴った動きの2つで創り上げたいなと思いました」
演出家として芝居とダンスの融合を見事におさめたのは、これまでの経験に裏打ちされているだろう。踊りもまた、身体を通じた表現としてエネルギーとメッセージを発する。台詞まわしとダンスの、いずれにも偏ることなく、絶妙な配分を思わせもした。
「そのボリュームって、たぶんお料理と一緒で、キャストと創りながら、ある一つのシーンで、言葉で語る量と踊りで語る量をやっぱり稽古しながら調整していく中で、例えば一言だけ足すだけで崩れることもあるし、逆に何かうまくいってないことが言葉を一言だけ足すことによってうまくいくこともあります。そのバランスは、この3カ月間稽古しながら、『これは必要な言葉だよね』『これは語りすぎてる』『これを表現するためには言葉じゃなくダンスがいい』と、私だけの意見じゃなく、みんなとのキャッチボールで決まっていきました」
その話に、ふだんの生活でも人に伝えるとき、伝わるとき、言葉だけを介しているのではないことに思い当たる。
鈴木ゆまはうなずくと、こう語った。
「語ることによって伝わるし、語ることによって誤解を与えてしまったり傷つけることもあるし、逆に言葉にしなくても伝わることもあるし、言葉にしないからこそ愛おしく思うこともあるし、逆に言葉にしないことによって傷つけてしまったり、誤解やすれ違いが起こることもいろいろあるじゃないですか。だから、言葉にするかどうかって大きな選択肢ですよね。舞台でも人生でも」