『源氏物語』を書き始めた動機と執筆期間は?

 紫式部が『源氏物語』を書き始めた時期は諸説あるが、佐々木蔵之介が演じた夫・藤原宣孝の死後から、見上愛が演じる中宮彰子への出仕前とする説が有力だ。

 紫式部の生年も諸説あるが、仮に天延元年(973)説で算出すると、宣孝が亡くなった時、紫式部は29歳である。

 執筆の動機はわかっていない。

 だが、『光る君へ』の時代考証を務める倉本一宏氏は、当時の紙は高価で、しかも気軽に手に入るものではなかったと思われることから、紫式部は大量の紙を提供され、『源氏物語』を書くように依頼を受けたのではないかとし、依頼主として最も可能性の高いのは藤原道長だとしている。

 くわえて、紫式部は出仕前に光源氏の生い立ちや、藤壺や紫の上との経緯を記した部分と、光源氏の須磨流寓から都召還の途中くらいを執筆し、続きは出仕後に書いたと推定している(以上、倉本一宏『紫式部と藤原道長』)。

 国文学者の三田村雅子氏は、『源氏物語』の評判が高まり、かなりの分量(全体の半分程度か)を書いた段階で、道長にスカウトされたとしている。

 なお、『源氏物語』の完成は、1010年前後と考えられているという(以上、三田村雅子『NHK「100分de名著」ブックス 紫式部 源氏物語』)。