一文字に込められたイニシャルの美学
では、中世ヨーロッパの写本のどこがおもしろいのか。
まずは「イニシャル」。中世の写本はキリスト教に関する文書が中心で、「聖書」をはじめ、1日8回定刻に行われる礼拝の祈りのテキストをまとめた「聖務日課書」、キリストの十字架上での犠牲と復活を再現する礼拝・ミサのために編まれた「ミサ典礼書」、聖務日課書を一般信者向けに簡略化した「時祷書」などがある。また礼拝の内容は教会暦によって決められたので、「暦」を写した写本も多い。
こうした中世の写本は基本的にラテン語で書かれているので、記者にはまったく理解できない。でも、「イニシャル」を眺めているだけで楽しい。
「イニシャル」とは文章の冒頭や、重要なセクションの始まりの目印として、最初の一文字を大きく際立たせたもの。中世の写本では、そのイニシャルに細密画を施したものが多い。
例えば、本展で展示されている《聖書零葉》のイニシャル「E」。縦1本、横3本の線から成る「E」という文字を2つの部屋に見立て、下の部屋ではヨシュアが天を見上げ、上の部屋では神がヨシュアに語りかけている。わずか一文字の中にそんな世界が作り込まれているのだ。彩色も美しく、その緻密な出来に驚かされるばかり。写本収集家の中に、イニシャルだけを集めるコレクターがいるのも頷ける。
余白にまで美意識を注ぎ込む
余白には色彩豊かな装飾が施された。草花や蔦、小鳥などをモチーフにしたパターンが描かれ、画面に優美な趣を与えている。挿絵も見ごたえがある。テキストの内容を説明するように大きくあしらわれたもののほか、頁の最下部の余白に「バ・ド・パージュ」と呼ばれる小さな挿絵が潜んでいることも。こちらは華やかな絵だけではなく、人間と動物や鳥の身体パーツが合成されたグロテスクなモチーフなども発見できる。
こうした写本の装飾を有名画家が手がけることも珍しくなかった。《レオネッロ・デステの聖務日課書零葉》はその代表例で、本展のハイライトといえる名品。15世紀のイタリア・フェラーラを代表する写本装飾画家ジョルジョ・ダレマーニャが手がけたもので、後期ゴシック様式の華やかな総状装飾が美しい。
だが、その一方で、イニシャル内に描かれた人物像にはリアルな生命感が宿り、ルネサンスの影響を感じさせる。当時のフェラーラには各地から気鋭の画家が招聘され、新しい絵画を模索していた。ジョルジョ・ダレマーニャもそうした環境に刺激を受けたのだろう。
見れば見るほど、おもしろさが増していく写本の世界。まさに無限に広がる小宇宙だ。