古都の現在を一望する、日本一豪華な眺め
「京都のてっぺん」
「360℃のパノラマ」
「京都の街の移りゆく景色をお楽しみください」
そんなアナウンスを聞きながらエレベーターは「京都のてっぺん」にある京都タワーの展望室を目指す。京都タワーの高さは131mであるが、「京都の街は京都タワーから見るにかぎる」と謳われた(ディスられた?)京都の街を一望する展望室は地上100mの高さにある。
2022年3月某日、午後3時半すぎ。ついに僕は幾人かの観光客とともに地上100mの京都タワー展望室に到着した。
じつはこの日、僕ははじめて京都タワーに登ったのである。もちろん塔の台座にあたるビル部分のカフェやフードコートには日常的にお世話になっている。しかし、この街との縁が始まってから20数年、これまで一度も京都タワーに登ってみようなどと思ったことがなかったのである。
これまで地上から100メートル上空に浮かぶ京都タワーの展望室を見上げて「あのUFOの部分」と言ったりしていたものだが、実際にその「UFO」の内部に入ってみると、下から見上げたときの印象よりも意外に狭い。建築物というよりは、どこか宇宙船の船内に乗り込んだような空間である。
京都タワービルはインバウンド・ブームに湧いていた2017年に開業以来の大規模リニューアルがなされたのだが、展望室周辺は開業当時の昭和レトロな情緒をよく残している。そのこともあり、ますます科学特捜隊の秘密兵器に乗り込んだような気分になる。
さあ、20数年の満を持して、100mの高さから「京都タワーが目に入らない」京都の景色を見渡してみよう。
西の遠くには嵐山の天龍寺、北は衣笠の金閣寺。そしてすぐ足元には「お西さん」こと西本願寺。京都タワーの展望室からは、このような世界遺産を含む数々の歴史的建築物を普段は見ることができない鳥の視点で眺めることができる(本当は“神”の視点といいたいところだが)。そのような意味では高さこそ東京の二大タワーに及ばないとはいえ、ある意味でこの展望室は日本一豪華な眺めということもできるかもしれない。
その一方で京都駅周辺に目を落とせば、そこは現在、急ピッチに大規模な再開発が進むエリアである。京都タワーと同じカラーリングの巨大クレーンたちが何体もにょきにょきと首を伸ばして、精力的に街を作り替えている様を目の当たりにすることができる。変わらないものと変わりつつあるものの劇的なコントラストが一望のうちに繰り広げられる。これも京都という街ならではの眺望だろう。
「京都タワー炎上」の真実
今となっては京都という街になくてはならないシンボルとして愛されている京都タワーであるが、先述のとおり、開業当時はとにかく嫌われたようだ。
京都タワーの開業は1964年。東京オリンピックの年であり、京都タワーのオープンも同年の新幹線開通に合わせたものだった。つまり新幹線に乗ってやってくるであろう観光客を当て込んだ計画だったのである。しかし、それまでじつに千年以上もの長きにわたり京都の人々が誇りとしてきた「京都の塔」は、日本一の高さの木造塔である東寺の塔であった。
「東寺の塔より高い建物を建てることはまかりならぬ」
東寺の塔の高さである54.8メートルを倍以上も上回る131メートルという京都タワーの不遜な高さは、そんな京都の不文律を豪快に突き破るものだったのである。
しかし、この行儀の悪い塔が全国を巻き込むほどの大炎上に至った原因はそれだけではなかったようだ。前述の建築史家・倉方は、京都タワーがそこまで激しい人々の怒りを買ってしまった要因として、タワー建設の経緯において市民に対する「後出し」ともいえる不誠実さがあったことを指摘している。
現在の立地に観光の一大センターとなるような施設を建設する計画が走り出したのは、タワー開業の5年前である1959年。そしてついに着工したのが1963年2月。しかし、この時点においても、東寺の塔より遥かに高いタワーの計画は市民に対してひたすらに伏せられていたというのである。着工前に建設省に申請されたのはビルだけの建築物であり、ようやく「屋上工作物」としてタワーの確認申請が京都市に提出されたのは1964年に入ってからであった。
「総高131メートルになることが発表されたのは、開業の年を迎えてからだったのである。市民を無視した資本の横暴という当時の知識人の間での受け止められ方に、こうした経緯が影響したのは間違いない」(倉方,2021, 104頁)
このようなだまし討ちが人々の怒りに火をつけ、新たな京都の塔に端を発する炎上はまたたくまに全国へと広がり、各メディアや専門家たちから散々な罵声を浴びせかけられることになったのである。そして、大炎上のなか、1964年12月に京都タワーはオープンする。しかし、皮肉にもその騒動が広告キャンペーンとなってしまったのか、全国から大勢の人がこの新しい「京都の塔」に押しかけ大盛況の開業となったという。