文=中井 治郎 写真提供=三井ガーデンホテル京都河原町浄教寺
コロナ禍でもなぜか増加する客室数
お宿バブルの崩壊に、コロナ禍による未曽有の観光危機。京都の宿屋はこのまま絶滅してしまうのだろうか・・・。
前回は京都のそんな惨状を報告した。しかし、観光客が消えて静寂に包まれているかに見えた古都の水面下では、じつは次の時代に向けた新しい動きが着々と進行していたのだ。
「コロナの一年」であった2020年度。インバウンドの消失により京都市における宿泊業の廃業数は過去最多の580軒に達した。しかし、一方で新規開業は518軒。さらに客室数においては、20年3月から21年3月までの一年間で 5万3471室から5万6551室へと、じつに3000室も増加しているのである。つまり「コロナの一年」において、京都の宿泊産業は絶滅どころかなぜか成長しているのだ。いったい何が起こっているのだろうか。
危機のなかで進行する新陳代謝
宿泊施設数の減少と客室数の増加。これは今回の危機において、小規模な施設が淘汰され、一方で大規模な施設へと置き換わる新陳代謝が進行していると見ていいだろう。今回の危機においてはゲストハウスなどの簡易宿所や小規模な施設ほど事態は深刻であり、休・廃業、転業が相次いでいる。その一方で、より大規模な施設や、「上質な宿泊施設を誘致する」という折からの市の方針でもあった富裕層向けのホテルの進出は、この危機においてさえも立ち止まっていない。
コロナ禍直前に東山区の二寧坂にオープンしたパークハイアット京都をはじめ、北区には京都初進出となるヒルトン・グループの高級ブランドホテル、京都を象徴する花街・祇園甲部には帝国ホテル、左京区の真宗大谷派岡崎別院の境内にはホテルオークラなど、今後も続々と高級ホテルのオープンが予定されている。そして21年4月、京都市は世界遺産である仁和寺の門前に建設される高級ホテルを「上質宿泊施設誘致制度」の第1号と認定することを決定した。
「上質」なのか「ラグジュアリー」なのかは分からないが、とにかく最低でも一人1泊4~5万円からという雲の上のようなホテルの画像にはため息が漏れるばかりである。これこそが新しい時代の「京都にふさわしい」宿の姿なのだろうか。
もちろんこれらはコロナ禍が明けてからのインバウンド需要回復を見込んだ計画である。しかし、一方で、まだまだ観光地は閑散としており、街を歩けば休廃業を告げる貼り紙が貼られたシャッターが目に入る。京都人の魂である祇園祭の山鉾巡行でさえ2年連続中止となった。いずれにせよ、続々と飛び込んでくる景気の良いニュースと自分の暮らしの実感のギャップに戸惑うのも、いま京都で暮らす人間にとっては正直な感想である。
新しい宿屋のカタチ
そうはいっても、いま京都のお宿に起こる変化で注目すべきは、ただ富裕層向けの豪華さという点だけではない。何よりはその「新しさ」であろう。それは単に施設が新しいということではない。宿屋稼業のあり方そのものの問い直しが進んでいるのである。
コロナ禍の最中、1回目の緊急事態宣言が明けたばかりの20年6月にオープンしたエースホテル京都は、次の時代を象徴する京都の宿屋の先駆けといえるかもしれない。宿泊客と地元住民がともに楽しめる接点となるよう、映画館(アップリンク京都)と融合したホテルなのだ。異なるまなざしをもって街を眺める観光客と住民が、同じ場所で同じ映画を見ることで、ともに同じことを感じる空間である。とくに観光客と住民の摩擦が問題となった京都においてはより意義深い試みともいえる。
そしてその3か月後、20年9月にはなんと寺院を擁する三井ガーデンホテル京都河原町浄教寺がオープンした。ロビーと隣接する本堂では檀家の法事などがこれまで通り執り行われる一方、宿泊客は朝の勤行にも参加できる(有料、先着順)。これも檀家の高齢化など存続の危機に直面する町寺(まちでら)再生の「斬新な」モデルケースとして注目を集めている。
そして21年7月にはカルチャー志向の若者をターゲットとした米マリオット系モクシーが京都に初進出(モクシー京都二条)。ロビーにはDJブースが設置されており、定期的に開催されるイベント時にはホテルのロビーがそのまま宿泊客と地元の若者が楽しめる「フロア」となる趣向である。
もちろんコロナ禍においてホテルや旅館以上の苦境を強いられているゲストハウス勢も黙ってはいない。テレワークの広がりでワーケーションなどとして仕事と生活を旅先に持ち込む長期滞在ニーズが高まる中、ワンルームマンションの家賃程度の価格で「京都で暮らす」ことができる1か月滞在プランを打ち出す動きもある。そもそも彼らは街に溶け込み、旅を京都の日常に染み込ませるゲリラ戦のような宿屋稼業を展開してきた。つまり、これから「暮らすように泊まる」時代がやってくるならば、それこそ1泊や2泊の滞在では活かしきれなかったゲストハウスの持ち味がいまこそ十分に発揮できるのかもしれないのだ。
観光の再定義
「オンラインツアーは観光なのか?」
これはわれわれのように観光のあり方を考える人間がコロナ禍のとば口で突きつけられた問いのひとつである。「自宅のPCやスマホの画面で京都の景色を楽しむ」というオンラインツアーを旅行・観光というなら、テレビで京都番組を視聴するのとどう違うのか?これまで「ネットやテレビで見るのと生の経験は違う。それこそが旅の醍醐味」と胸を張ってきたのはいったい何だったのか・・・。
そんな頭の固い人間たちの戸惑いをよそに、コロナ禍は働き方を変え、暮らし方を変え、そして観光の定義さえ変えてしまった。しかし、オンラインツアーの拡大が高齢者や、障害や持病などのためにこれまで旅行が困難だった人々に新たな楽しみの門戸を開いたように、いま展開されている新たな観光は単に一時しのぎではなく、旅行や観光そのものが持つ新たな可能性を開放し、意味を変えていく営みでもある。そして、それは「観光とは何か」を根本から問い直す、観光の再定義である。
このような観光の再定義の潮流のなか、宿泊業界においても21年5月、東急グループが定額制住み替えサービス「ツギツギ(tsugi tsugi)」を試験的に打ち出した。これは定額(30泊18万円、60泊36万円)で全国のグループホテル、コンドミニアムが利用できるというプランである。もちろんこれもテレワークやワーケーションなどの拡大(および通勤旅客減少による鉄道事業の減収)を見越しての一手である。
そこで想定されているプランの利用法は、一軒のホテルに長期滞在する従来型のホテル暮らしとも少し異なる。そこで提案されているのは「その日の都合やその時の気分に合わせて、好きな時に好きな場所を自由に選ぶ、そんな〈旅するような暮らし〉」であり、全国の街を転々としながら生活する自由で(かなり贅沢な)ノマドのような暮らし方である。これはまさに居住と旅という、日常と非日常の二項対立そのものの線引きを描きなおすという意味で注目に値するだろう。
京都はお宿の実験場?
供給過多の市場。そこで蟻地獄のようにお互いの足を引っ張り合うような価格競争から、いかに脱け出すか。このような問題意識から、これからの宿泊産業においては価格的魅力以外の何かが重要となることはコロナ禍以前でもすでに常識であった。しかし、これまでその「何か」とは、付加価値という程度の意味で捉えられてきたことも事実である。
しかし、いま危機の逆風のなかで新しく生まれつつある「何か」は「付加」価値というより、もっと根本的な変化ではないかと思う。
日本を代表する観光先進都市であり観光「課題」先進都市であった京都は、コロナ禍以前のインバウンドブームにおいてはさまざまな新しい観光商品や課題解決の試みが展開される街であり、まさに観光の実験場であった。そして観光の再定義はコロナ禍によってさらに加速している。コロナ禍によって徹底的な見直しを迫られた観光産業では、いま観光のあり方そのものの再定義が進んでいる。
そして、コロナ禍において他のどの都市よりも痛手を負う京都の宿屋で起こっていることも、「泊まる」ということの再定義、そして泊める側である宿屋稼業の再定義といえるかもしれない。京都は今、まさに宿屋の実験場である。
宿屋稼業の意気
コロナ禍のさなかである2020年7月、アメリカのゲーム開発会社から『Ghost of Tsushima』というゲームが発表された。タイトルを直訳すると「対馬の亡霊」である。なんと西暦1274年の日本の対馬を舞台に、鎌倉時代の元寇(文永の役)を描くゲームなのだ。
米国制作のゲームでありながら日本の文化や歴史に対する緻密な考証、黒澤明はじめ日本の時代劇映画への深いリスペクトが話題となり、日米のみならず世界のゲーマーから高い評価を獲得。ゲーム界においてコロナ禍の一年を象徴する作品のひとつとなった。
ゲーム中では元寇に翻弄される対馬を舞台に様々な人間ドラマが群像劇のように展開される。そのひとつに、弓の才を見出されるも、貧しさと戦火のなかで手を汚しながら過酷な境遇を生きる女性の物語がある。彼女は最後、師を捨て、弓を捨て、これまでの人生すべてを捨てて、島を離れる船に乗る。
「京都で小さな宿を開きたいんです。琴でも習って。雅な着物を着た人たちがとめどなく泊まりに来て。・・・そして、下男が金を巻き上げる」
彼女はそう不敵に微笑んで、夜も明けきらぬ霧の海へ消える。まだ見ぬ京都を目指して。
米国のゲーム開発者たちがいささか感傷的なこのセリフを書いたのは、まだこの街に世界中からの観光客が殺到していた頃であろう。こんなゲームを作ってしまうほど日本の文化や歴史に入れ込んだ彼らのことだ。観光客でごった返す異国の古都を訪れ、この街の歴史や文化の奥深さ、そしてこの街で出会った「小さな宿」の野心やしたたかさに舌を巻いた思い出くらいあったのかもしれない。
期せずして京都の宿屋事情が一変したあとに世界に発信されることになったセリフだが、いま聞くからこそ、この街でまたふたたび宿屋稼業のしたたかで新しい人生が始まっていく様子を予感させる。こんな時代にこそ聴けてよかった台詞だとも思う。
かつて「京都は水っぽい」と眉をひそめた文化人もいた。たしかに歴史や伝統だけでなく、飄々と先進的で、逆風の海に小舟を漕ぎ出すような野心も、また京都らしさだなと思うときがある。それもまた、都の意気というものだろう。