文=中井 治郎

清水寺から見る京都の町並み。写真=GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート

幽霊マンションの怪

 1000年の古都にはどの街よりも怪異の伝承が多く残る。そして令和の世にも、都人たちが声をひそめて語り合う怪異がある。

 たとえばあなたが夜の京都の通りを歩いていたとしよう。ふと真新しい豪華なマンションが目に入る。夜道に煌々と照らし出されたエントランスはまるで不夜城の城門のようだ。しかし、あなたはどこか奇妙なことに気づくかもしれない。人の暮らしの気配がないのだ。

 すっかり日も暮れているのに窓々には明かりひとつ灯っていない。見上げると闇夜に溶け込むように冷たく暗い巨大な石の塊がそびえ立つばかり。京都の夜にぬっと姿を現す漆黒のぬりかべのような怪異。これがいま京都の市中にはびこる幽霊屋敷ならぬ「幽霊マンション」である。

今昔、冷泉院よりは南、東の洞院より東の角は、僧都殿と云ふ極たる悪き所也
然れば、打解て人住む事無かりけり

 これは今昔物語集に収められた膨大な数の説話のひとつ、「冷泉院東洞院僧都殿霊語」の冒頭部分である。怪異譚を集めていることで電脳時代の不埒な怪談ジャンキーたちにも人気の高い第二十七巻「本朝付霊鬼」の第四話目にあたる。住む人もいない屋敷で目撃される血のように赤い単衣の影をめぐる怪異譚であり、現代まで続く怪談の定番である幽霊屋敷譚の元祖のひとつといえるかもしれない。

 筋はいたってシンプルなものだ。怪異の噂を聞いた男が肝試しに弓を構えて寝殿の縁側で待ち伏せをする。そして黄昏時、ついに竹やぶから姿を現した赤い単衣を見事に射抜く。すると単衣は血だまりを残して大きな榎木の梢を登り上がると幻のように姿を消し、男もまた道連れのように帰宅後に死んでしまう。

 あっさりとした小品だが、逢魔時とも呼ばれた黄昏時を背景に、竹林や榎木の青と赤い単衣が残した血だまりの色彩イメージは鮮烈である。そして悪戯に傷つけられた美しい単衣の哀れが微かな苦みを残す。すこし癖になるような読後感のあるエピソードだなと思う。

 庶民のあばら屋ではなく栄華を誇るような立派な邸宅だからこそ、ひと気のない様がより異様なものに映ることには古今を問わない。しかし豪勢な邸宅が時代遅れになりつつある昨今である。怪異は屋敷だけでなくタワマンにも宿るのだろうか。

 高さ規制の厳しい京都ではタワーというほどの高さのマンションを建設することはむずかしいが、それでも町家など古い建物がひしめく区画を整理して富裕層向けの豪華なマンションに建て替える事業は各所で進んでいる。

 しかし、そこで増殖しているのが先述の「幽霊マンション」なのである。つまり、そこに暮らす人影の見えない新築マンションである。近年、とくに資産価値の高い「田の字地区」と呼ばれる市街中心部などで富裕層向けの豪華なマンションの建築が相次いでいるが、その買い手の多くは中国や首都圏などの富裕層であるという。

 しかし、現在とくに問題とされているのは彼らの購入目的である。資産としての保有や休暇の間だけ京都で過ごすための別荘としての使用など、居住を目的としない購入なのである。

 インバウンド・ブームに煽られてバブルとまでいわれた一部商業地区の地価高騰は落ち着きつつあるものの、京都の不動産価格は高止まりの様相であり、依然、周辺都市よりは割高なままである。周辺に比べて割高といっても、海外や首都圏の富裕層からすると「この程度の価格で京都のマンションが手に入るなら安いものだ」ということなのかもしれない。

 しかし、実際にこの街で次の世代を生み育てながらコミュニティを支えていく人々にとっては、この街の住まいはもう手が届くものではなくなりつつあるのだ。住む人のいない幽霊マンションが増える一方で、「もうこの街には住めない」と子育て世代の住民は京都から流失し続けており、コミュニティの空洞化は深刻だ。

 

非日常より「暮らすように旅をする」

 しかし、これは京都という都市のブランドがグローバルな市場で特別な価値を獲得したことの皮肉な帰結でもある。首都圏をはじめ日本中の人々が、そして世界の人々が(他の都市ではなく)京都の不動産物件を所有することに何らかの特別な価値を見出した結果だからである。闇夜にそびえたつ幽霊マンションこそ、近年の世界的な京都ブームの皮肉な象徴ということができるかもしれない。

 このように多くの人が京都の物件を欲しがり、週末や休暇など普段の日常とは違う時間を過ごすその場所に京都を選ぼうとしているという、そのことの背景と意味は常に考えておかなくてはいけないだろう。

 とくに近年、京都観光をめぐるイメージとスタイルは非日常性というより「もうひとつの日常」を志向する、「暮らすように旅をする」スタイルへと移行してきた。「京都人のとっておき」というフレーズが頻出するような、より生活者のまなざしに近い京都の楽しみ方である。近年の京都観光の現場は、京都を旅することと京都で暮らすことの境界を曖昧にすることで次々と新たな価値を生み出してきたともいえるだろう。

 このような京都ブームのなかで「京都で暮らすように旅をする」ことに魅せられた人々が、次第にこの街で自由に使える拠点を所有したくなるのも当然といえば当然である。彼らを非難するのもお門違いというものだろう。

 とはいえ実際にそのブランドの内実である「京都らしさ」を支え、維持するための人々が消えてしまってはこの街には何にも残らない。京都は長い歴史のなかで幾度も荒廃と復興を繰り返しながら、その光景が時代ごとの目撃者によって記録に残されてきた街である。

 このままでは次の時代の目撃者が描き残す京都は幽霊屋敷ならぬ幽霊マンションが立ち並んだ小奇麗な廃都になるかもしれない。世界中から殺到した人々が街を消費し尽してしまうオーバーツーリズムと同じ事態が、住まいをめぐっても起こっているということである。

 これに対して、現在、市は「非居住住宅」の所有者を納税義務者とする「別荘税」の導入を検討している。対象となる地域は市街化区域のみと限定されているにもかかわらず、課税対象は実に約1万7千戸に及ぶと見込まれている。

 いずれにせよ、この幽霊マンションの怪異も一筋縄ではいかない「ややこしい街」を丸裸のままグローバルな市場に投げ込んでしまった結果である。2018年に導入された宿泊税と同じく今回の別荘税も、グローバルな市場において京都ブランドが加速させてきた都市の消費過程に地域社会への還元・再投資を組み込んだ循環システムの構築へ向けた取り組みということはいえるだろう。

 

新しい「京都暮らし」へ

 そうはいっても平安時代の幽霊屋敷では赤い単衣が儚く揺らぐばかりのことであったが、令和の幽霊マンションは堅固で巨大な石造りのぬりかべである。とても弓矢で敵いそうな相手ではない。われわれはどのようにしてこの新しく手ごわい隣人と対峙すべきなのだろうか。

 しかし、風向きは変わり始めている。折しも新型コロナの影響で急速に働くこと、そして暮らすことの形は変わりつつある。テレワーク、ワーケーションなどの拡大に伴い、二拠点生活、さらには定額を支払えば全国の拠点が泊まり放題というサブスク型住居サービスなども話題となっている。

 これらはどれも「旅をすること」と「住むこと」の意味をドラスティックに変化させる可能性をはらんだ動きである。これまで京都は観光先進都市である同時に、オーバーツーリズムなど観光に関する課題先進都市ともいわれてきた。この街がすでに直面していた国内外の富裕層による住まいの買占めという問題も、そのような旅と居住をめぐる変化の波がいちはやく到達していたことの結果だったのだろう。そうであるならば、この災禍によって急速に加速する全世界的な変化が京都に新たな道を開いてくれるかもしれない。

 今度こそは待ち伏せして美しい着物に矢を射かけるなどという無益な肝試しをしている場合ではない。腰を据えて腹を割り、そして変化の時代の勢いも借りて、この新しい隣人たちと一緒に「新しい京都暮らし」のあり方を探るべき時なのだろう。