文=中井 治郎
京都の宿屋稼業
宿屋稼業。京都で旅館を切り盛りしている友人がよく使う言葉である。自嘲的ともいえるが、どことなく飄々とした響きがある。同じように日本の宿泊業やその文化を象徴する言葉として多用されるようになった「おもてなし」よりもずっと好きな言葉だ。旅に関わる人々が根っこのところで持っている、たくましさと風通しのよさを感じる言葉であると思う。
宿屋稼業といえば、思い出すのが古典落語の「高津の富」である。江戸時代に寺社が売り出していた富くじをめぐる上方発祥の噺であるが、そのクライマックスにこんな台詞がある。富くじの当選で500両を手に入れることになった宿屋の主人がこんなことを呟くのだ。
500両貰ろうたら、どないしよう。
大阪いっぱいの地所買い込んで、大阪いっぱいの宿屋を建てて。
……そやけど、そないぎょうさん泊まる人はあるやろうか?
桂米朝「高津の富」(1975)
江戸時代、泰平の世に殷賑を極めた上方の宿屋稼業の勢い、その夢の大きさ、そして一抹の心もとなさをよく表した台詞である。
一方、現在の上方の宿屋稼業は残念ながらそれほど景気の良いものではない。全国の観光産業と同じく、京都の宿泊業もコロナ禍によって未曽有の危機に喘いでいる。しかし、いまそんな京都でホテルの新規開業が相次いでいるのだ。いったい京都の宿屋稼業に何が起こっているのだろうか。
破格の「投げ売り」も
バブルとまでいわれた近年のインバウンドブームを一夜にして吹き飛ばしたコロナ禍。京都の宿泊産業はかつて誰も経験したことのない窮地に陥っている。京都市観光協会(DMO KYOTO)のデータ月報によると直近の2021年5月の客室稼働率は16.7%にとどまる(コロナ禍以前である前々年同月は83.1%)。
緊急事態宣言が発出されていた期間であるとはいえ、東京は32.8%、全国では27%(観光庁 宿泊旅行統計調査)であることを考えると、もともと外国人観光客の需要に依存するところの大きかった京都の宿泊産業は他都市と比較しても、より深刻な状況にあることが伺える。
一泊当たりの宿泊価格も暴落といった様相である。市内全体の平均客室単価を見てみると、コロナ前の2019年5月は14438円であったものが直近の2021年5月は10893円となっている。しかし、コロナ禍における京都の宿の「投げ売り」感は体感としてはこんなものではない。
もちろんエリアやグレードにもよるのだが、現在の京都では以前であれば考えられないような価格でホテルを探すことができる。筆者も執筆作業の缶詰と称して、以前ならば平日で1泊1人あたり1万から15000円程度の価格だった市内中心部のホテルを一泊3000円ほどでよく利用するようになった。
駅近、オリエンタルシックな内装、大きなベッド、大浴場を備えたホテルもあるし、なにより築2~3年以内の真新しいホテルが多い。もともとコロナ前は東南アジアの安宿でお湯の出ないシャワーを浴び、不穏な臭気を吐き出す冷房と軋むベッドに眠れない夜を溶かしていた人間である。海の向こうどころか地下鉄で10分ほどの距離にあるホテルとはいえ、これらのホテルは十分にコロナ禍における貴重な非日常を摂取できる時間と空間であった。
しかし、最初の頃は「今だけの贅沢だな……」などと思っていたものだが、結局、コロナ禍の発生から一年半も経つ現在でも事態は変わらない。やはりまだ3000円程度で市内中心部の綺麗なホテルが予約できてしまう。
もちろん、このように地元の宿を泊まり歩くこと自体、それぞれが自分の暮らす街に閉じ込められるコロナ禍特有の消費行動ともいえる。だが、京都の宿が「適正価格」に戻った時、果たして自分は何のわだかまりもなく再び同じホテルに泊まることができるだろうか。
「お宿バブル」から淘汰の時代へ
ふりかえってみると、ほんの数年前までは「とにかく部屋が取れない」、そして「とにかく高い」と言われていたのが京都の宿事情だった。そのような慢性的な宿泊施設不足と急増するインバウンド需要を受けて、京都市は2020年には4万室の宿泊施設が必要となると見込み、16年当時の3万室から1万室を補うための宿泊施設拡充・誘致方針を発表する。
しかし、その後、だれも予想しえなかったほどのスピードで京都のお宿は増殖した。必要とされた4万室は目標年次を前倒して超過。コロナ禍による初めての緊急事態宣言が発出される直前である20年3月末には、過去最高の53000室を上回るまでに達していた。たった4年ほどの間に倍近くにまで膨れ上がったのである。まさしく富くじを当てた宿屋の見た夢、「大阪いっぱいの宿屋」ならぬ「京都いっぱいの宿屋」である。
しかし、ひとつの夢が実現したならば、次に思い起こしてしまうのは、幸運な宿屋の主人が思わずもらした一抹の不安である。
「……そやけど、そないぎょうさん泊まる人はあるやろうか?」
実は、このような「お宿バブル」を経て、2019年ごろから京都では宿泊施設の過当競争化による値崩れが始まっていた。宿泊需要は伸び続けていたが、供給の勢いがそれを上回ってしまったのである。つまり、コロナ禍以前から京都のお宿事情は淘汰の時代が始まっていたのだ。そして疫病による観光危機において、一部とはいえ破格の投げ売りが常態化してしまうことになる。
「蛸は身を喰う」という慣用句があるが、古来、蛸は自身の足を食べることで急場をしのぐといわれた。このような極端な投げ売りも、追い詰められた蛸が自分の足を食べるようなもので、自身の商品価値を毀損しながら命を繋ぐような危ういものであることはいうまでもない。人はいちど一泊3000円で泊まった宿に、いつかまた15000円を支払う気になるだろうか。その時は別の宿を選んでしまうのではないか。そんな不安を覚えない事業者はいないだろう。
もちろん現場では「コロナ禍における宿泊客(地元や近隣の住民)とコロナ禍が明けてから訪れる宿泊客(遠方や外国からの観光客)は重ならないはず……」というようなギリギリの経営判断などもあったのかもしれない。背に腹は代えられないのだ。
しかし、一方で星野リゾートが提唱したマイクロ・ツーリズムのコンセプトのように、コロナ禍を契機にこれまで外ばかり向いていた宿泊業と地元との多角的な関係構築が叫ばれている折でもある。こちらの方は「地元相手の商売もできないとアフター・コロナの宿屋は生き残っていけない」という見立てともいえるだろう。
とはいえ、京都では市民向けの宿泊キャンペーンが揮わなかったこともあり、宿屋界隈では「そもそも京都人が京都の宿に泊まるわけないやん……」というため息も聞かれる。コロナ禍以後にはもう地元客を相手にすることはないだろうという見込みが吉と出るか凶と出るかは、まだ誰にも何ともいえないところなのだ。いずれにせよ、胃の痛くなるような話である。
第1次インバウンドブームの終焉
出したり引っ込めたりでもう何度目かもよく分からない緊急事態宣言がやっと解除されたのが6月20日だった(3回目だったらしい)。そして、その翌日のことである。オリンピック開催の是非をめぐって世論が紛糾するなか、宿泊業のみならず京都という街にとってひとつの時代の終わりを象徴するニュースがひっそりと報じられた。2021年3月末、京都市が指導する違法民泊が2016年の調査開始以来、初めてゼロとなったというニュースである。
違法民泊は旅館業法や民泊新法に基づく許可や届け出を経ずに一般住宅に客を泊める民泊を指すものであるが、京都において問題化しはじめたのはインバウンドが急増しはじめた2015年前後からである。
一般の戸建てやマンションの一室などでの民泊営業が増えはじめ、騒音やごみのポイ捨てなど周辺住民とのトラブルが拡大。2016年の参院選・京都区では主たる争点のひとつとなった。その頃には仲介サイトに掲載されている京都の民泊は2700軒を超え、さらにはそのうちの実に7割が無許可の「ヤミ民泊」であったといわれる。
こうして京都で観光が社会問題となり、観光のあり方を街ぐるみで考えざるを得なくなった。つまり、このような違法民泊・ヤミ民泊をはじめとする民泊トラブルは京都のオーバーツーリズム問題化のきっかけであり、その象徴でもあったのだ。
これに対し京都市は約30人体制の専門チームを設置、さらには日本でもっとも厳しいといわれる規制の強化で対応する。これによって18~20年度の間に約1600施設が営業中止・撤退に追い込まれていた。そしてコロナ禍が京都を襲った20年度末、市が指導を継続する施設は0件となったのである。ついに京都市は「違法民泊ゼロ」を達成したのだ。
これをもって、お宿バブルとオーバーツーリズムによってたった数年のあいだに京都の景色を塗り替えた第1次京都インバウンドブームに、ようやくの終止符が打たれたのである。
お宿バブルの崩壊にコロナ禍による観光危機。京都のお宿はこのまま絶滅してしまうのではないか……。そんなことさえ考えてしまう惨状だが、実は事態は思わぬ展開を見せている。
たしかに壊滅的な危機に瀕した2020年度、宿泊業の廃業数は過去最多の580軒に達した。しかし、一方で518軒もの新規開業があり、客室数で見た場合は、20年3月の53471室から21年3月では56551室へと3000室ほど増加しているのである。この未曽有の危機において、絶滅どころか、増えているのだ。この奇妙な数字は何を意味するのか。
次回は、この数字を足掛かりに今始まりつつある次の時代の京の宿屋稼業を占ってみよう。