文=鷹橋 忍

プラハ城 写真=PantherMedia/イメージマート

世界最大級の城郭

 年末年始は、大晦日恒例のベートーヴェン『第九(交響曲第9番「合唱付き」)』や、ニューイヤーコンサートなどで、クラッシック音楽が華やぐシーズンである。

 そこで今回は、交響詩『我が祖国』の第2曲『モルダウ』で知られるスメタナ(1824~1884)と、日本では『家路』の歌で親しまれる『交響曲第9番「新世界より」』が著名なドヴォルザーク(1841~1904)という、二人の世界的な作曲家を生んだチェコ共和国のお城をご紹介しよう。チェコ共和国の首都プラハを見下ろす、世界最大級の城郭・プラハ城である。

 プラハは「黄金の都」、「ヨーロッパの魔法の都」、「石造りの夢」、「百塔の街」などと讃えられる美しい古都だ。「野外建築博物館」とも呼ばれるように、プラハにはロマネスク、ゴシック、ルネッサンス、バロック、アール・ヌーヴォーと、街中に各時代の建築様式の建物がすべて残っている。

プラハ城からカレル橋とヴルタヴァ川の景色を見る 写真=アフロ

 プラハの街を東西に二分するヴルタヴァ川は、ドイツ語名を「モルダウ」という。先に述べたスメタナの交響詩の第2曲も、この川を指している。

 プラハ城は、このヴルタヴァ川の左岸に位置する、フラチャニの丘に聳える巨大な建物群だ。城は東西に長く、その敷地は世界最大級の約7万平方メートルを誇る。

 入口は西門、東門、北門の三ヵ所があり、フラッチャニ広場に面している西門が正門だ。フラッチャニ広場は、2009年4月にアメリカのオバマ大統領が、「核なき世界」を掲げたプラハ演説を行ったことで知られる。

 プラハ城はまるでミニチュアの街のような城で、中世には王宮はもちろん、大聖堂、教会、学校、貴族の館、兵隊小屋、牢塔などを備えていた。現在では、厩舎を改装した美術館や、軍事博物館となった火薬塔もあり、チェコ共和国の大統領府も置かれている。1992年には「プラハ歴史地区」として、世界遺産(文化遺産)に登録された。

 この巨大なプラハ城には、どんな歴史があるのだろうか。

 

三十年戦争は、プラハ城から始まった

 プラハ城の起源は史実と伝説が入り交じっているが、ボヘミア王国最古のプシェミスル王朝の事実上の創始者・ボジヴォイ(在位870~895)が建設したと考えられている。ちなみに、ボヘミア(チェコ語ではチェヒ、ドイツ語でベーメン)と呼ばれる地域は時代によって異なるが、事典等では「チェコ共和国の西部をさす、歴史的名称」と説明され、中心都市はプラハである。

 プラハ城とプラハの街は、14世紀のカレル1世(1296~1378)の治世のときに、劇的に発展する。

 ボヘミア王カレル1世は、1346年に神聖ローマ帝国の皇帝に選ばれ「カール4世」となった(カレルは、ドイツ語でカール)。

 カレルはプラハをローマやコンスタンティノープルに劣らぬ大都市に育て上げようと、中欧初の大学となるカレル大学を創設、ヴルタヴァ川にカレル橋を架け、旧市街の外側に新市街を建設するなど、街を整備した。このカレルの都市計画は、現在のプラハの美しい街並みの基礎となっている。

 カレルは、プラハ城の増改築に着工している。ゴシック式教会の最高傑作の一つといわれる聖ヴィート大聖堂の建て替え工事を命じたのも、カレルだ。聖ヴィート大聖堂の地下には納骨堂があり、そこにはカレルをはじめ、ヴァーツラフ4世、ルドルフ2世など、歴代のボヘミア王が眠っている。聖ヴィート大聖堂は、プラハ城の最大の見どころといわれる。

聖ヴィート大聖堂 写真=アフロ